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韓国の仏像裁判が結審

大韓民国ニュース
この記事は約12分で読めます。

実にバカバカしいニュースだし、韓国らしい結果ではあるが、一応触れておきたい。

韓国最高裁 長崎県で盗難の仏像 対馬市の寺の所有権認める判決

2023年10月26日 18時29分

2012年に長崎県の寺から盗まれその後韓国で見つかった仏像をめぐり、韓国の寺が「中世の時代に倭寇に略奪されたものだ」として所有権を主張し引き渡しを求めている裁判で、韓国の最高裁判所は原告側の訴えを退け、仏像の所有権は長崎県の寺にあると認める判決を言い渡しました。

NHKニュースより

事件が発生してから11年も経過してようやく結論に辿り着いたというのだが、本件はなんと争点が何処にもないということが問題だった。

盗んだ仏像で走り出す

日本側の失策

平成24年(2012年)10月、対馬の観音寺から仏像が盗まれる事件が発生し、翌平成25年(2013年)1月に韓国人窃盗団が逮捕されたことで、犯行が発覚。国際問題に発展した。

対馬の仏像盗難で男拘束 韓国警察、被害品を回収

2013年1月30日 10:53

昨年10月に長崎県対馬市の神社や寺から仏像などが盗まれる事件があり、韓国の警察は30日までに、仏像を盗んで韓国に持ち込み売りさばこうとしたとして、文化財保護法違反の疑いで韓国人の男(69)を拘束、4人を在宅で立件し仏像を回収したと発表した。

警察によると、男らは共謀し昨年10月上旬、対馬市にある海神神社の国指定の重要文化財「銅造如来立像」と観音寺の長崎県指定の有形文化財「観世音菩薩坐像」、多久頭魂神社の仏教経典「大蔵経」を盗み出し、博多港から韓国南部・釜山港に持ち込んで韓国内で売りさばこうとした。

日本経済新聞より

当時、韓国国内では遺失文化財返還運動が沸き上がっていた。これは、文化財保護の観点から韓国政府が動き出したという意味では評価できるが、そもそも韓国は文化財の保護を「行わない国」として有名である。

売れるものなら何でも売ってしまえ、というスタンスで、盗品として売り払われたり、忘れられて風化するような事もしばしばあったのだ。ここいらの話は、別の記事で触れている。

さて、こうしたスタンスの国ではあるが、「略奪された」ものは取り返すべきだという流れになり、日本にもその要求を度々繰り返していた。

しかし、彼らの「略奪された」という主張には根拠がない。「韓国にとって大切なモノを売り渡すはずがない」というのが根底にあって、だから「日本が略奪したのだ」というロジックになっているのだが、完全に思い込みである。

しかし、日韓関係改善の美名の元に、朝鮮王朝実録の寄贈(平成18年:2006年7月14日)や、朝鮮王室儀軌の寄贈(平成23年:2011年12月6日:韓国側は「返還」と解釈している)のお陰で、この騒ぎに拍車がかかる。「当然返して貰えるモノ」という認識が高まったのだ。

特に、朝鮮王室儀軌の寄贈については、公式に「返還」という事になってしまっている。悪夢の民主党政権時代の失策の1つだ。

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遺失文化財の返還の何が問題なのか

そもそも、こうした動きは余り健全な外交とは言えない。遺失文化財にあたると相手国が勝手に認定した文化財の殆どは、正当な手段によって日本側が入手したモノであり、その後、相当なコストをかけて保管、メンテナンスを行ってきたモノだ。

これは文化に対するリスペクトなしには為し得ないことで、特に公開されるでもなしに厳重に保管されてきたモノも数多くある。

ところが、韓国側は騒ぐだけ騒いで「宝」を手に入れようとした。

実にバカバカしい話だが、日本にあると思われていたモノが、実は韓国に保管されていたことが分かったという事件もあったりして、彼らが文化財を如何にぞんざいに扱っていたかが分かる話でもある。

「日本に略奪された」はずの国宝、韓国にあった 高麗時代の石塔 文化財のずさん管理が問題に

2016/3/20 10:30

韓国で長年、「日本に略奪された」と信じ込まれていた国宝の一部が、ソウルの国立中央博物館に保管されていたことが分かった。複数の韓国メディアが19日までに伝えた。

問題の国宝は、高麗時代の11世紀に建立された石塔。石塔自体は李氏朝鮮時代の王宮、景福宮(ソウル市内)にあるが、この石塔の四方にもともと付いていた4体の獅子像の保管が今回判明した。石塔は、日本による朝鮮半島統治の初期に大阪に渡ったが、朝鮮総督府の手によって1915年、景福宮に移されたという。

産経新聞より

こうした話は、韓国の諺に現れている。「泣く子は餅を一つ多く貰える」というモノがある。

好意的に解釈すれば、「粘り強く交渉することで事態が好転する」という意味にも採れるが、現実は「ごねるだけごねることで得をすることができる」という意味に使われることが多い。

厄介なのは、日本側が折れたところで「それは当然のことだ」と解釈されて、日本側の利益に結びつかないことが殆どであることだ。

そういう文化の国家なので、こちらが曲げるべきでないと考える部分は、安易に曲げてはならない。感謝されることなど皆無なのだ。

浮石寺の驚くべき理論

とまあ、こういった話を先ずは念頭に置いておかないと、なかなか理解し難い事件ではある。

仏像「観世音菩薩坐像」は、平成25年に韓国で発見された後、通常であれば文化財不法輸出入等禁止条約に基づいて直ちに日本に仏像が返還されるべき流れなのだが、そうはならなかった。

2012年に長崎県対馬市の観音寺から盗まれその後韓国で見つかった、県の有形文化財に指定されている仏像「観世音菩薩坐像」をめぐっては、韓国中部にある浮石寺が「中世の時代に倭寇に略奪されたものだ」として所有権を主張し、仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求めて2016年4月に韓国で裁判を起こしました。

NHKニュースより

どういう権利を持っているのか知らないが、忠清南道瑞山市にある曹渓宗の浮石寺が、「それ、俺んだ」と騒ぎ始めたのである。

いや、原因は分かっている。この観世音菩薩坐像は、像内から発見された結縁文に「高麗国瑞州浮石寺」「天暦三年」などの記述がある。恐らくこの時期に作られたと推定される、由来のハッキリした仏像なのだ。

天歴三年(1330年)とは、支那・元の明宗の年号であり、高麗の忠粛王17年に相当する。

同じ名前の「浮石寺」が、その所有権を主張するのは当然のようにも思えるが、残念なことに、結縁文にある「浮石寺」と騒ぎを起こした「浮石寺」の同一性は否定されている。

何しろ、朝鮮半島では、過去、幾度となく宗教弾圧が行われていて、李氏朝鮮の時代、太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の時にも、世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の時にも、存続を許された寺院のリストというモノが作られたが、どちらにも「浮石寺」の名前はない。したがって、15世紀初頭には廃寺となっていた可能性が極めて高いのだ。

何より、現代の浮石寺には、仏像を所有していたという事を示す証拠は何もなく、「根拠を示す鑑定書は仏像を失ったときに、思い出すのが悲しいので捨てた」などと、犯人は意味不明な供述をしており……。

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韓国地裁の驚くべき判断

まあ、通常は無理筋なんだけれども、この浮石寺の主張を韓国の大田地裁は受け容れて、「有体動産占有移転の禁止仮処分申請」を認めてしまう(平成25年2月)。

地裁は、「仏像が日本に返還されれば、浮石寺の所有だと最終判断がなされたときにすでに仏像はなくなっていて、浮石寺の所有権を行使できない恐れがある」などという意味不明なロジックを捏ねた。

だが、裁判所がどのような判断をしたらそのような結論が導き出されるか良く分からないのだが、これは通常であれば通らないロジックである。

理由は色々あるが、一番分かり易いのは条約の履行義務が韓国政府にあって、取り敢えずはどのような結論に至るにせよ、一度は日本側に返還する必要がある。

あるんだけどねぇ……。

この時、韓国政府は何故か裁判所の求めに応じて浮石寺に引き渡しはしなかったのだけれども、保管する判断をしちゃうんだよね。

この時に返還しておけば問題は無かったのに。

韓国政府は、控訴手続きに入って、判断は高裁に持ち越される。高裁でも一審が支持されて結論は最高裁にまでもつれ込むことに。

大法院の判断

さて、韓国の最高裁判所に当たる大法院(いわゆる最低裁判所)はどんな判決をしたかなのだが。

韓国の最高裁判所は26日「日本の民法上、観音寺が法人格を得てから20年たった1973年の時点で、仏像の所有権を取得したと認められる」として、原告側の訴えを退け、仏像の所有権は観音寺にあると認める判決を言い渡しました。

NHKニュースより

真っ当といえば真っ当ではあるが……、そもそも倭寇によって盗難された事を示す証拠は何もないことや、浮石寺の請求人適確に疑問があるんだが、その辺りをスルーしてしまったことは頂けない。

尤も、この判決自体が全くおかしいということではない。

実は、高裁審理の時に日本の観音寺が参加している。

高等裁判所での審理には去年6月、観音寺の田中節竜住職が初めて参加し、「観音寺は平穏かつ公然と仏像を占有してきており、日本の民法でも韓国の民法でも所有権はわれわれにある」と訴えました。

NHKニュースより

大法院の判決は、この観音寺の主張を認めたものである。一番穏当な判断だったと言えよう。

7年半にわたった裁判は判決が確定することになり、これを受けて日本政府は、韓国政府に対して日本側への仏像の早期返還を求めていく方針です。

NHKニュースより

取り敢えずは還ってくる可能性は高そうだが。

ただ、この話はそもそも高裁審理を令和4年に行ったということそのものが問題である。大田地裁の審理が平成28年と、訴えを起こしてから3年も経過した時点で行われたのだが、高裁は更にそこから6年後。一体何を調べていたのかと。

まあ、こうなった理由は簡単なんだけど。

実は、騒ぎになってから樹立したムン君の政権が、裁判を止めていたのである。裁判が進めば返還を余儀なくされる。そうすると、支持率が低下してしまう。なし崩し的に韓国の所有権を認める為に引き延ばすという狙いがあったのかもしれないが、何とも。あとは、この仏像の話を外交カードに使う目的があったんじゃないかな。盗んだ仏像で外交交渉を画策した(走らせた)わけだ。

三権分立とは一体何だったのか。

追記

改金仏事

コメントを頂いて思い出したことがあったので、追記しておく。あー、先にお詫びしておくけれども、この記事を読んであまり血圧を上げないようしていただきたい。

対馬仏像盗難問題 韓国寺院が金彩施す意向 被害側「ありのままで返して」

2020/10/08

長崎県対馬市豊玉町の観音寺から2012年に盗まれ、韓国に持ち込まれた高麗時代の仏像「観世音菩薩坐像かんぜおんぼさつざぞう」(県指定有形文化財、像高59.8センチ)を巡り、坐像は日本に略奪されたものだとして所有権を主張している韓国の浮石寺が、坐像に金彩を施す「改金仏事」をしたい意向を韓国の高裁で示していることが外務省などへの取材で7日までに分かった。これに対し、観音寺は「ありのままの姿で返してほしい」と訴えている。

長崎新聞より

多分、僕の記憶にあった話だったので全国ニュースにもなったのだと思うが、ソースは長崎新聞からである。

なかなか凄いぜ、浮石寺は。

何だよ、改金仏事って。初耳だよ!

九州国立博物館によると、改金仏事は仏像に金箔きんぱく金泥きんでいを施す仏教儀式。金など不変的なものへの信仰があつい中国や朝鮮半島で見られる。同時代の高麗仏との比較から、観音寺の坐像も当初は金彩が施されていた可能性が高いという。

長崎新聞より

なかなかふざけた話なのだけれど、しかし歴史的な観点からすると改金仏事はアリってことらしい。ただ、韓国の貧乏寺が真っ当なことをやるかというと、おそらくは金色のペンキを塗りたくるくらいのことだろうと思う。

外務省によると、浮石寺が改金仏事の意向を示したのは、坐像を保管している韓国政府に引き渡しを求め同寺が提訴した裁判の控訴審。6月の審理で同寺は坐像の腐食を防ぐためと主張したが、高裁は観音寺側の許可を得る必要があると指摘したという。

長崎新聞より

流石に高裁としても、そんな勝手なことをされては困ると阻止されたようだが、これ、浮石寺に仏像がわたっていたらとんでもないことになっていたかも知れない。

なお、この改金仏事はかなり昔の風習であり、現代では殆ど見かけないのだとか。浮石寺は何処でそんな話を仕入れてきたんだろうね。

マスコット持参

何故、僕が浮石寺をそんなに信用していないのか、と言えば、こんなアホな話があったからだ。

これ、盗難事件が発覚した後で、浮石寺の僧侶が「仏像の代わりにマスコットを持参して来日する」(平成25年3月頃)と言い出してニュースになった時の映像である。

訳が分からないが、日本のテレビ局が取材したときに、当の僧侶はこんな発言をしたのだとか。

「仏像をなくしたことが、どれくらい大きな痛みか、よくわかります。今回は、傷ついたその方に慰労の言葉や手紙を差し上げて、われわれの寺を象徴するマスコットや小さな仏像も、贈り物として持っていきます」だそうで。

意味不明だよ!

もちろん、この申し出を対馬の観音寺は断った。塩をまいてお清めするくらいの勢いで「来るな」と断ったそうな。英断である。というか、それいがの選択肢は真っ当な人なら思いつかない。

巫女の団体がやってくる!

ところが、更に恐ろしいことが。

200人のシャーマンが日本の大麻に行く理由は?

入力 : 2013-03-19 16:08:10

韓国のシャーマン200人余りが20日、日本の対馬を訪問する。最近、所有権で物議を醸している仏石寺の仏像のためだ。

物議を醸している金銅観音菩薩坐像は、西山富石寺に製作・保管されていたが、日本に渡った後、再び韓国に持ち込まれた。

韓国メディアより

シャーマンと訳されているが、巫女(ムダン)と呼ばれる存在で、韓国では今でもシャーマニズムが息づいている。

で、節目毎にこんな格好で踊りを捧げてくれる模様。

え?ナニソレ、怖い。

いや、韓国文化を否定する積もりは毛頭無いんだけど、日本でやられては困る。なんと恐ろしいことに、こういった格好の女性が200人、対馬に押し寄せたらしいのである。それもアポなしで押し寄せたと言うから、何というか……。

彼らは20日、日本の対馬の「阿友町」で慰霊祭を行う予定だ。

韓国メディアより

当然、日本側はこれを許すことなかったようだが(記憶だけでソースが見つからなかった)、迷惑な話である。どうして入国させたのか、と。確か、断られたので観光をしてからどこかの公園で踊って帰ったとか、なんとか。

ああ、そうだ、みなQさんのところで見かけた情報だった。

……みなQさん、末期癌で入院してから更新が途絶えてもう半年以上経過して、本日予約記事が投稿されていたな。もしかしたら、元気でいらっしゃるかもしれないけれども。哀しいことがあった、というのであれば残念でならない。

コメント

  1. アバター 河太郎 より:

    先日、コリア捏造歴史映画がケーブルでやっててボ〜とみてたんですが、実に彼らの民族性を表していて笑えた。
    なんか中国様から冊封国の印をもらうと。んで、その印が使者ごとマッコウクジラに呑まれてしまう。
    んで〜とりあえず「偽造」してごまかすんですが、鑑定のできる中国皇帝使者が訪韓すると聞いて慌てる慌てる(笑)
    んでんで海賊に頼んでクジラ狩り…と。
    なんちゅーか、目先の欲や自己保身でテキトーな事をやり、どんどんヤバくなってくのが、実に彼ららしいよな(笑)と楽しめましたテキトーに(笑)

    • 木霊 木霊 より:

      なかなか面白そうなストーリーですが、実際にそんな政治をやられたらたまったものではない。
      海賊がクジラ狩りという流れも意味が良く分かりませんが……。

      と思って調べたら、「パイレーツ」(邦題)というタイトルの映画なんですね。そして、結構興業成績も良かったらしい。
      海賊、山賊、官軍が入り乱れて争奪戦をやるという意味不明なストーリーですが、どうもギャグ映画という位置づけのようですね。
      しかし、実際に韓国はこれを素でやっちゃうんですよね。

      • アバター 河太郎 より:

        そうそうパイレーツでした。
        まぁイミフの物語でマジメに観てないから誤解もあるでしょうが。
        あの実に「とりあえず間に合わせておけ」で、後先考えずに実行するあたり、実に彼らの地が出てると思いました。
        後先を考えていたら国のトップが変わる事に刑務所たの自殺だの暗殺だのにならない思いますし。まぁつける薬は無いのでしょうね。
        仏像、「善意で修復不能に補修🤣」しかねない国ですからねぇ。無事だと良いけど。

        • 木霊 木霊 より:

          いやこの「善意で修復不能」が笑えない話がありまして。
          追記に紹介しておきましょう。ただ、余りに荒唐無稽なお話なので、笑い話として読んでくださいねー。

          • アバター 河太郎 より:

            いや……血圧より唖然……。
            だって絶句するてしょ、
            あの二百人のアレ!
            あたまおかCですよ。まさか、あの格好で200人踊る気だったのか?
            マスゲームの北朝鮮もビックリしてウンコ出ちょうぜ!!
            つか……なんでこんなのが?
            確かに日本に仏教伝来するのは、北朝鮮あたりまで領土とした北魏が国教化した為なのですが。
            仏教にカンケーねーだろうにコイツらは。
            こう…脈絡ないんですよね。パイレーツみたく。
            つきあいきれん。

  2. アバター 河太郎 より:

    少なくともコイツらは神道には関係ないですよ。氏子として断固拒否する!!
    須佐之男命が新羅に降臨してるのや、
    新撰姓氏録にある姫氏が、呉の太白の子孫だか、秦の始皇帝第三皇子の子孫の弓月王(朝鮮へ亡命)だかを始祖としていて、つーことは、どっちでも(どっちか失念)、まぁ半島に関係ある(太白なら檀君神話に繋がる)とは言えますけどね。
    当時の朝鮮半島から来た自然崇拝は、近世以降に生じたコイツらとは関係ない。
    剣道が半島由来と言うくらいにデマ!

    • アバター 七面鳥 より:

      横合いから失礼。
      群馬にある辛科神社、御祭神が須佐之男命で、少しだけ関わりがあるので調べたのですが、帰化人が建てたとか。
      須佐之男は、高天原から降りた時、そこが新羅だったので「ここじゃねぇ」とか言って移動する伝承もあると聞きましたが、白村江の戦い前後の朝鮮半島の任那日本府とそこから渡来・亡命して来た帰化人及びその技術等を意味するのかな?と思ったりもします。
      ※白村江の戦いに負けた後、ある程度の人数が逃亡してきたとも聞きます。
      古代朝鮮半島の住人と、現在の半島の住人は全く違うとも聞きますし、そもそもあっちにはキチンと歴史を遡れる資料がマジ皆無ですし。
      ※こんなアレですし(笑)
      https://twitter.com/tweetsoku1/status/1708149712765821099

    • 木霊 木霊 より:

      驚いていただいて何よりです。
      このニュースに触れたときは、開いた口がふさがりませんでした。

      世界各地にシャーマニズムは存在して、日本神道と彼らは全く無関係なんですが、こういう話もありますよという感じですかね。何しろ共通項がない。
      自然崇拝というのは何処の国にもありますから。

      • アバター 河太郎 より:

        七面鳥様
        「こんなアレ」には絶句しました。
        マジで? トンデモ本でなくて?
        いや、大陸と半島も何度となく衝突してますから、そのような事実あれは中国側の文献に記録ないはずも無く、記紀や風土記に何某かの痕跡が残らないはずはないんですが。
        てか、ゲノムに残るでしょう?
        地域差はあれ、平均的な日本人のゲノムは、漢民族や半島の者よりも、
        苗族やチベット族に近い。
        彼らが科学や文献&考古学の検証よりもファンタジーを論拠にする事は解りました。もはや言葉も出ない。
        帰化人については関東に色々と残りますよ。確かに白村江の戦いの後に亡命してきた半島人による開拓が行われて、西武秩父線の高麗駅付近の
        巾着田(彼岸花で有名)がそう。
        高麗神社の神楽は確かに打楽器の使い方とか、半島付け根の遊牧系のリズムです。でも、それは大和朝廷に許されての植民で。同じ埼玉の古社でも、土師氏(埴輪作成で人身生贄を止めさせた一族)を祀る鷲宮神社とは全くリズムが異なる。
        半島勢力が日本制圧してたなら、全ての神楽が高麗神社ふうになってましたって。いくら日本の古代史に未明の事が多いからって、公然と嘘つくのはヤメレ!
        むちゃくちゃ不愉快ですね。

        • アバター 河太郎 より:

          そもそも魏志倭人伝(正史三国志の魏書の東夷伝倭人条)に邪馬台国の記載があるのは、編纂した西晋(魏の後継国家)が、江南に残る呉に対して、
          「いざとなれば倭(邪馬台国)から援軍くるからな!」
          と脅す目的もあり、多分に古代の史書や地誌は、そうした
          外交&地政学的戦略が背景にある。それ故に誇張も多いが、隋唐で朝鮮攻略してる中華王朝が、「日本列島は朝鮮の支配下」ならば、記述してないはずは無いんです!!
          「空白の4世紀」があるのは、
          少なくとも倭の五王までは、
          日本列島は、半島や大陸の政治的影響下にない空白だった事を表してます。
          ホントに何を言いやがると想う。人の国を嘘で貶めやがって。自国をリスペクトして欲しいならば、他国の歴史もリスペクトするのが筋というとのでしょう。ホントに血圧が上がる

          • アバター 七面鳥 より:

            >各位

            好太王碑の件も然り、彼ら以外の資料が全て一致しているのに、絶対に自説を曲げないメンタルは正直感心します。

            感心してあげるから、こっち来ないで欲しいですね。

  3. アバター 河太郎 より:

    鷲宮神社の土師氏の祖先は、相撲の起源である天覧試合の勝者・野見宿禰です。
    敗れたのが当麻蹴速で、蹴速は蹴りと共に湾曲したフック(魚河岸みたいの)の名手であったと記録にあります。
    このフックは遊牧民が用いる武器で、つまりは半島から遊牧をよくする人達が渡来していた事を示します。
    が、野見宿禰に敗れ、相撲から蹴り技が消えていった事を観ても、半島の移民の政治的な影響力が限局的であった事が伺える。
    同じようにアニメ「君の名は」に出てくるヒロインの神社の御祭神、倭文(しどり)神は機織り神ですが、その「しどり」と言われる日本古来の機織りが広まらず、秦氏が養蚕を相模に伝搬している事から、渡来人が関東に新技術を伝えた事は事実でしょう。
    しかし、それは天皇家を中心にする王権や朝廷の指図の元に行われた事で、半島系の支配とは全く違う。
    むしろ序列が低かったからこそ、日高見や武蔵に植民させられたのです。
    また遊牧系文化にしても、三峯神社や御嶽神社の「狼」崇拝など、秩父や多摩に残る狗信仰から、何某かの遊牧文化の影響は見られます。が、狼が日本武尊の導き手である事からも、天皇家の支配下にあったのは間違いない。
    そして、三峯神社のフトマニは鹿の肩甲骨を炙るものですが、これは蒙古系の風習であり、朝鮮半島には痕跡が無い!
    古代から中世の関東には、火山性土壌によるススキ原が拡がっていたので、馬の扱いに慣れた渡来人が入植したのですが、あくまで辺境開拓と、先住民(蝦夷)への当て馬です。
    彼ら渡来人が制圧していたならば、武器(馬)を産する関東が古代日本の中心になってます。しかし現実は武士が登場し、鎌倉幕府が開かれるまでは、日本の中心は西国でした。
    はっきり言って「アレ」は、古史古伝と言われる様々な偽史より酷い。
    人の国の歴史を玩具にするのも大概にしろ! 

    • 木霊 木霊 より:

      まあまあ。
      日本が他国の文化を取り入れて魔改造していくのは、古来からのことであります。
      色々なシーンに色々な影響が見られます。聖徳太子の説いた十七条憲法だって冠位十二階だって、元はといえば輸入品ではありますが(後の世の創作であるとする説もありますが、支那で用いられていた律令制を参考にして政をしていたのは事実だと思われます)、美味く日本風にアレンジされております。これが当時の国家の礎となったのですから、完全なオリジナリティが無いとしても誇るべきモノだと思います。

      おそらくは朝鮮半島にもそういったモノは存在したのでしょうが、王朝の入れ替わりと共に文化は離散してしまい、その多くは残ってはいません。「朝鮮半島にあった王家が優れていたんだ」と言われても、「ハイハイそれで?」としか言いようがありません。「酸っぱいブドウ」なんですよね。

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