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放火で焼失した崇礼門復元は、文化保護が目的では無かった?!

歴史建造物
この記事は約9分で読めます。

引っ越し前のサイトで人気があったシリーズ 「ヤバイ韓国建築物」の第二弾だ。韓国の歴史を色々な意味で感じさせてくれる、韓国国宝第一号に関する話題だ。

文化保護なんかじゃなくて、単なるパフォーマンスだったって事だな。

崇礼門復元工事期限を違反すれば、一日違約金1670万円

[中央日報] 入力2013.12.03 01:39 /修正2013.12.04 09:40

崇礼門の復元工事が手抜きにつながったのは、「工期を合わせるために急いで工事を進めたためだ」という主張が出た。

中央日報より

引用記事のタイトルだが、意味が分からない。多分日本人には理解出来ない感覚だろう。

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燃え落ちた崇礼門

焼け落ちる国宝

崇礼門(南大門)というのは、韓国の国宝第1号であり、火事で焼け落ちたことでも有名である。

火災で崩壊の崇礼門、復元には2~3年かかる見通し

2008.02.11 11:13

【ソウル11日聯合】10日夜の火災で崩壊した国宝第1号の崇礼門(南大門)について、文化財庁の金相球(キム・サング)建築文化財課長は11日、正確な被害状況を把握する必要があるとした上で、復元には2~3年の歳月と約200億ウォン(約22億円)の予算を要するとの見方を示した

中央日報より

韓国の文化財は何かしらの放火や不審火によって燃えたという話を良く聞く。口の悪い人は「放火は韓国の国技」と言うほど、不審火が多いからだ。で、国宝第1号も例外なく燃えてしまいこの姿に。

2008年、 崇礼門焼失す

懸命な消火活動にも関わらず、全て焼け落ちてしまった。

翌日の姿

なかなか衝撃的な姿だね。

国の威信にかけて、復元する?

しかし、これを韓国政府の威信にかけて復元した……、というのは表向きの話だったらしい。

2010年2月に着工から去る5月に竣工まで3年3ヶ月間の工事現場を管理していたある人物は最近、本紙取材陣と会って”文化財庁などの政府要人から(2012年12月末に予定されて)納期を守らなければならないという話をよく聞いた」とし「現場で工事期間が足りないと話しても無駄だった」と話した。彼は「国宝第1号の復元を期限を定めてという発想からが問題だった」とし、「施工者の立場では、納期を一日超過するたびに、工事総額の1000分の1(崇礼門工事の場合、1日約1670万円)に相当する遅延金を求めなければならないため、定められた期限を守るために建設を急ぐしかなかった」と話した。

リンク切れ

工事期間が決められていて、「遅れると遅延金を」という、ちょっと理解出来ないシステムだったようで。もちろん、こうした無理を言う立場の人間が現場を理解しているわけもない。この、出火を防げなかった原因は、火災発生当時の大統領であった盧武鉉の責任であり、次の大統領となった李明博氏は国家の威信をかけて任期中に再建を、という話になったわけだ。

それ故に莫大な遅延金が設定された、というのがもっぱらの噂だ。とはいえ、1日1,670万円相当って、バッカじゃないのか?

立派に復元?された崇礼門

修復された崇礼門

さて、再建に関して不穏な話がついて回ったものの、再建は無事終わった。

ソウル南大門が復元  盛大に記念行事

Write: 2013-05-04 15:24:58/Update: 2013-05-05 10:56:51

放火で焼失したあと復元工事が進められていたソウルの南大門、崇礼門が完成し、4日、復元を祝う式典が行われて、一般開放されました。
崇礼門は、朝鮮王朝時代の都、漢城の南の門で、国宝第1号に指定されていますが、2008年2月10日に放火されて木造の楼閣の大部分が焼失しました。
その後、5年3か月かけて復元工事が進められ、朝鮮時代に建てられた原形を再現するとともに、日本の植民地時代に1.6メートル高くされていた周囲の地盤をもとの高さに戻し、門の両側には1907年に取り壊された城郭の一部が再現されました。

KBS WORLDより

終わったんだが、どうもおかしな事になったようだ。

修復の終わった崇礼門(Wikipediaより

これが修復後で、修復前と比べると何か違う。

修復後2013年
修復前2006年

修復前と後で写真を並べてみると、一目瞭然。「門の両側には1907年に取り壊された城郭の一部が再現されました。」と説明のあるように、城郭が「再現」されているのである。

確かに過去の写真を見ると、城郭らしきものが映ってはいる。

大韓帝国時代、1904年

随分と小汚い感じの様子ではあるが、こうした資料を参考にして復元されたようだ。「日本統治時代より過去に遡りたかった」という気持ちは、一応何となくは理解はできる。

細部にも要らぬ拘り

が、細部にも結構手が加えられたらしいと言うことが後に分かっている。当時指摘されていた天井画等を見ると一目瞭然である。

左が修復前で右が修復後なのだが、デザインを変えてしまうのは如何なものだろうか。まあでもこの写真だけ見たら「立派に修復された」と言えなくもない気はする。

修復前
修復後

お分かりだろうか。2匹の龍が描かれているのだが、修復前には対象になるような配置だったのに、修復後は……。まあ、良いんだけどさ。

伝統技法に拘る!

また、崇礼門の再建にあたり伝統技法に拘ったとか。

<南大門でたらめ復元>うわべだけで終わった「伝統方式による復元」

2013年11月07日13時30分

  崇礼門(スンレムン、南大門)火災から3周年となる2011年2月10日、凄惨な火災で損傷した崇礼門の現場に韓服姿の人夫が登場した。彼らは木をのみで整え、石切りのみで石を叩き、柱と縄を利用した昔の起重機で石材を持ち上げた。当時の崔光植(チェ・グァンシク)文化財庁長が彼らを激励した。この席は意味が大きかった。本格復旧に入るのに先立ち伝統の道具を使った伝統作業方式が初めて公開される席だったためだ。   文化財庁は2008年5月に崇礼門復旧基本計画を発表し、「重要無形文化財などの技術者が参加して伝統技法と道具を使って復元する」という原則を明らかにした。伝統方式による復元は崇礼門が初めてだった。伝統業界は期待した。しかしその日以降、現場から韓服は消えた。起重機の代わりにクレーンが石を持ち上げ、シャベルの代わりに掘削機が土を掘り起こした。1日だけ見せた「国民向けのショー」だった。

中央日報より

確かに、工事開始に際して、デモンストレーション的に伝統技法を披露する、なんて考えは悪くないと思う。

だが、実際の作業にまでそのようなことを課して、作業者の能率を落としてどうするのか?と。

  その後復元現場では「形だけの伝統方式」が続出した。材料の調達・運搬のような工事過程のうちどこまで伝統に従うのか、さらには伝統が何なのかに対する原則が立てられなかったためだ。城郭の石積み責任者を務めた重要無形文化財第120号のイ・ジェスン石匠は、「伝統方式通りならば人夫が石を城壁の上まで運ばなければならなかった。しかし時間的・物理的に不可能だった」と話した。文化財庁関係者も「人夫が韓服を着たのは復旧現場公開がある日だけだった」と認めた。

中央日報より

原則なんて、形だけになるならばさっさと破棄すれば良い。この結果、どうなったかというと……。

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剥がれ落ちる塗装

2013.10

5月に修復が終わって大キャンペーンをやったんだけど、10月には一部が剥がれている!と大騒ぎになった。

この剥がれは結構問題になって、犯人捜しが始まることに。

<南大門でたらめ復元>落下したかけらで実験してみると…もしや偽のにかわ接着剤?

2013.11.07 10:01

崇礼門(スンレムン、南大門)復元に使われた丹青の顔料とにかわは特に問題だった。伝統方式も守られず、値段が安い材料を使ったという指摘が相次いだ。

本紙取材チームは先月18日に中央SUNDAYと崇礼門と丹青をともに調査した伝統文化大学のキム・ホソク教授が現場で拾った丹青のかけらを対象に実験をした。比較対象は丹青と同じ種類の染料を使う水干彩色専門画家のチョ・チュンジャ氏が本人のアトリエから持ってきた水干彩のかけらだった。2種類ともにかわを染料の接着剤として使うので原理は同じだ。結果は衝撃的だった。

中央日報より

11月には、実験をしてみたらしい。まあ、この実験の再現性が疑わしい気はするのだけれど、それはさておき上のとは別の角度の写真も公開されていて、これがまた酷い。

修復して直ぐコレというのは、どうしようもないねぇ。

裁判も始まる

で、流石にコレが裁判沙汰になった。

韓国国宝第1号の南大門、復元3カ月で明らかになったずさん工事…業者の賠償責任認める判決

2022.08.16 17:24

2008年に火災が起きた崇礼門(スンレムン・南大門)を復元する際に天然顔料の代わりに使用が禁止された値段の安い化学顔料などを無断で使用したホン・チャンウォン丹青匠とその弟子が国から巨額の損害賠償を求められることになった。

~~略~~

国家無形文化財保有者だったホン丹青匠は2012年8月から2013年2月まで崇礼門の丹青復旧工事を担当し作業を進めた。

ホン丹青匠は伝統復元に自信があると文化財庁に明らかにしたが、伝統技法で丹青を修復した経験は1970年に師匠がする工事にしばらく参加したのがすべてだった。

ホン丹青匠は最初の1カ月ほどは天然顔料と伝統接着剤を使う伝統技法で作業を進めたが、色がうまく出ず、天気が冷え込むと伝統接着剤であるにかわがこびりついた。

そのためホン丹青匠とハンさんは工事期間を減らすために契約に反して化学接着剤(アクリルエマルジョン)と化学顔料を隠れて使った。彼らは監理を避けて主に明け方の時間帯に作業したとされる。

このように色が塗られた丹青は結局復旧して3カ月で剥げ落ちた。

中央日報より

どうやら工事に使った染料がアクリル系エマルジョンを用いたものであり、天然顔料及び伝統接着剤を使わなかったことが明らかになった。

だけどね、写真を見て分かるように、木材に細かい割れが入っていることが見て取れると思う。修復を急ぐあまり、木材の乾燥を疎かにした事の方が問題なんじゃないかな。実際、この修復に用いられた木材も、元々は韓国内で調達されたものだったのだけれど、新たに国内で調達することは困難でロシアから購入するということになった。

なお、引用記事には書いていないが、韓国内に天然顔料や伝統接着剤は残っていなかったので、日本から輸入した材料を使ったらしい。慣れていない塗料を使うよりは、慣れ親しんだ化学顔料を使う方が合理的だったのだろう。

まあ、全て元通りに修復というのは、なかなか困難だったと思うのだが、割り切って修復すれば良かったのに、と、残念に思う。全体的に見て、「修復イベントの開催」が目的で、元通りに修復するというのは本当の目的ではなかったのだろう。

それでも、観光の目玉だった崇礼門が修復されたことは、韓国にとっては良いことだったのではないかな。

コメント

  1. しゃべるねこ より:

    中国と同じで、元々メンテナンスという概念そのものが存在しない文化。古くなって汚くなって朽ちるのは当然で、そこに美学は存在しない。コツコツ努力して美しく保ち、大切に大切にできるだけ長く生かそう・・・というこころなど、さらさら無いのだから、そのための材料も技術も道具も存在しない。
    それで復元なんて、5才の子供に飛行機作れと言うようなものでしょう。
    世界はとっくに知っていますよ。美栄ばかりで中身のない文化だということを。恥に恥の上塗りをして、ますます信用をなくすということに、いい加減気がついたらと思うんだけど、気がついていても直せないのでしょうか?なら、たちの悪い病気ですね。

    • 木霊 より:

      メンテナンスの概念が無いというのは、仕事上関わった方もそうだったので納得できる話ですね。
      外見だけで良いなら、木材使わずプラスチック製のイミテーションを使うか、コンクリート製にすれば良かったのにと、そんなことを思いましたよ。
      積み上げる文化が無い以上は、仕方がありませんね。

      お返事が遅くなってしまって申し訳ないです。