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【第4回】鬼界カルデラ殺人事件

歴史ロマン
この記事は約17分で読めます。

ちょっと待て、タイトル。違うから。

もはやちょっと錯乱気味で迎える第4回。そろそろこのシリーズは終わりにしたいなーということで、水田稲作伝来ルートの話に戻っていきたいのだ、が……。最初に鬼界カルデラの話をしなければならない。タイトルで悪ふざけが過ぎる点はこの場を借りて謝罪したい。

遠い国の大噴火に翻弄された日本…その時、指導者たちはどう動いたか

2022/01/26 15:00

南太平洋の島国、トンガの海底火山で1月15日、大規模な噴火があった。噴煙は上空約20キロと成層圏にまで達し、火山灰は半径250キロ~400キロにわたって広がったとみられる。

~~略~~

今から7300年前、鹿児島県南部の鬼界カルデラで起きた巨大噴火(VEI=7)による火山灰(アカホヤ)は東北地方まで降り注いだ。

讀賣新聞より

それで、なぜ鬼界カルデラなのかといえば、これが日本の縄文時代に大きな影響を与えたと考えられるからである。割と知られた話だとは思うけれども。

  • 海底火山が噴火して鬼界カルデラが出来上がったお陰で、九州の縄文人は絶滅?!
  • 北海道・東北においても火山噴火による影響が
  • 弥生時代は結構殺伐とした時代

気候変動のもう1つの要因

九州の縄文人に甚大な影響を与えた火山噴火

前回までに紹介したように、古代における地球全体の文化の衰退は太陽の活動に大きく左右されていたようではある。が、それ以外にも人類の生活に大きな影響をあたえたものがある。それが火山活動である。

人類の、と主語を大きくしたモノの、ここでは日本列島の事象に限ることにする。

今から7300年前つまり紀元前5300年頃の話である。鹿児島県で鬼界アカホヤ噴火と呼ばれる海底火山の噴火があった。

いや、或いは当時は島だったかもしれないのだが、超巨大噴火によって、日本に住む人々に多大な影響を及ぼす。

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鬼界アカホヤ噴火の存在は以前から知られていて、その影響は広範囲に及んだことが分かっている。火砕流が影響した範囲もさることながら、30cmも火山灰が積もった地域も、植物栽培は絶望的だし、山野の緑も壊滅的だったことだろう。

鬼界海底カルデラ内に巨大溶岩ドームの存在を確認 | 神戸大学ニュースサイト
「鬼界海底カルデラ」で探査航海を実施し、7300年前の巨大カルデラ噴火以降の短期間に、32kmを超える巨大な溶岩ドームが形成されたことを確認しました。

この大規模な噴火によって当時の九州地方の縄文文化は消滅してしまったといわれている。かなりの火山灰が広範囲に降り注ぎ、その影響は朝鮮半島にまで及んでいたと推定されるそうな。

今から7300年前、鹿児島県南部の鬼界カルデラで起きた巨大噴火(VEI=7)による火山灰(アカホヤ)は東北地方まで降り注いだ。大規模な火砕流は推定時速300キロという高速で海を渡り、大隅半島や薩摩半島に上陸。九州南部の縄文文化を壊滅させたとされる。九州南部は1000年近く無人の地となり、噴火の前後で縄文式土器の様式が変わったという。

讀賣新聞「遠い国の大噴火に翻弄された日本」より

VEIというのは火山の噴火規模を示す単位、火山爆発指数というやつである。

その区分は、噴出物の多さで決定され、鬼界カルデラで起きた巨大噴火は日本で最大規模の設定である。

これに関しては本も出ているらしいのだが、残念ながら深く勉強する機会に恵まれなかったので、今後読んでいきたいと思う。

7300年前、南九州の縄文人を絶滅させた「鬼界アカホヤ噴火」|富士山大噴火と阿蘇山大爆発|巽好幸
1707年に起きた「宝永大噴火」以降、沈黙を続けている富士山。専門家の間では、「いつ噴火してもおかしくない」と言われています。もし本当に噴火したら、首都圏はいったいどうなってしまうのか……。いざという...

ともあれ、火山活動によって九州地方の縄文文化は消え去ってしまった。

したっけ!サイトより

世界の流れが示してあったので引用させてもらったこの図に当てはめると、鬼界カルデラ生成があった紀元前5300年頃は、縄文時代の真っ只中であったことがわかる。

紀元前5300~4300年頃の九州地方には、真っ当な縄文遺跡がないのもそういった事情らしい。千年単位で人が住めない状態になり、つまり、九州地方の縄文時代は「前期」区分の時代の大半が吹っ飛んでしまったということになる。天候にも大きな影響があったのだろう。

東北方面の方が、縄文文化が栄えていた背景には、九州地方のこんな苦境があったことも関係しているのかもね。

火山活動が気候に影響した可能性

「気候変動のもう1つの要因」と書いた理由は、火山活動が気候にも大きく関わった可能性があるという意味である。この話は比較的古くから知られていて、北海道周辺もここまでの規模でないにせよ、そうした出来事があった。

有珠山が形成されたのは紀元前18000~13000年であるとされていて、紀元前6000~5000年頃に山体崩壊(噴火活動に伴う大規模崩落)が発生している。

一方で、十和田湖周辺にも火山活動があったことが分かっている。

十和田湖は、現在も活動を続けている「十和田火山」です。約20万年前から活動をはじめた十和田火山は、約5万5千年前から1万5千年前の間に、大規模な噴火を繰り返すようになりました。大量の火砕流を噴出すると共に、火山体の中心部が陥没をはじめます。少なくとも3回の火砕流噴火によって陥没が進み、約1万5千年前に現在の十和田湖の原型であるほぼ四角形のカルデラが形成され、そこに水が溜まってできたのが十和田湖です。その後、湖の決壊による大洪水で奥入瀬の渓谷が生まれます。十和田火山はその後も噴火活動を続け、最新の噴火は約1千年前に起こりました。

奥入瀬フィールドミュージアムより

割と近い時期に火山が噴火していることが分かっていて、縄文人達にとってはかなりの恐怖感じた可能性は高い。

緑旗を2箇所に立てておいたが、上が有珠山で下が十和田湖である。火山灰の分布データなどはないが、大規模噴火であったのだから数年は周辺地域の気候にも影響を与えた可能性が高いし、集落形成の場所選定にも大きな影響があったと推測される。

縄文時代に農業実態があってもしっかり根付かなかった背景には、そういった火山活動に影響されていた可能性はある。年単位で天候が変動すると作付けどころではなくなるし、火山灰が降り積もってしまうと数百年単位で農業どころではなくなる。

なお、朝鮮半島の話は第1回に触れたが……、実は朝鮮半島最大の山、白頭山も946年にWEI=7の大噴火を起こしている。日本では平安時代辺りの話で、朝鮮半島の何回目かの滅亡に……、と言いたいところだが、むしろ北海道辺りに影響をもたらした。

残念なことに、この噴火の影響に関する当時の書物はほとんどないようだけれど。

ちょっと話が逸れたが、とにかく火山噴火によって火山灰が降り積もるなどの直接的な話以外にも、上空にまき散らされた火山灰が天候をも左右した。よって白頭山の話はともかく、大規模な気候変動や火山活動の影響で、縄文人は大移動した可能性が高いとは思っている。その移動はおそらく命がけの移動であり、その結果、多数の犠牲者が出たことは想像に難くない。逆にそれが文化の交流に繋がったのかもしれないが。

海の状況

さて、こういった話にもう1つ加えなければならないのが、日本列島の形状の話である。これ、第3回の時にも言及したんだけど、日本列島は樺太と繋がっていた。

サピエンスが日本列島に生活の痕跡を残すようになった3.8万年前以降について考えよう。彼らはまだ定住しておらず、狩猟採取生活を送っていた。一世代が短く、歴史を伝える文字も持っていなかったので、気付いていたかどうかわからないが、肌寒さは増し、海はどんどん遠くなっていった。今回の視点、列島の広さという意味で言えば、列島はみるみる広くなる。そして、縄文時代が始まる少し前、約2万年前の最終氷期の最寒期には、海面は現在よりもついに約マイナス125mに達した[fig. 7]。北海道、樺太は大陸の続きとなり、本州、四国、九州もひとつの陸となる★8。現在の対馬海峡、津軽海峡は浅くて狭い水路になっていた。そして、2万年前を越えると、海面はぐんぐん上昇し、約7,000年前に現在と同じ高さになり、そのあとはほとんど一定である。

生活環境構築史のサイトより

視覚的なデータの方が解りやすいね。地質図Naveの海面上昇シミュレーションによるとこんな感じになる。

20000年前の日本列島の様子:海面は-125mに設定している

鹿児島県南部の鬼界カルデラで起きた巨大噴火の時期はもう現在の形に近い日本列島になっていたようだが、それ以前には朝鮮半島との距離はかなり近かった様に思われる。だが、この図の通りであればその頃の支那人(紀元前18000年頃)が朝鮮半島を経由しないで日本に来たとしても不思議はないはずだ。

一方で、「縄文海進」と呼ばれる海面が今より数m高かった時代(紀元前5000年頃)があったことを前回紹介したが、氷河期の終わりと共に海面上昇をし、再び紀元前1000年頃になると、もう今の日本列島とさほど変わらない海面の高さに下がっている。

そういえば旧石器時代には日本列島は支那大陸と陸続きだったというような話があって、マンモスがやってきたというような話だったよね。

ということは、前回紹介したような航海手段があったとはいえ、陸地が繋がっていた時代のほうが文化の伝来は行われやすく、海面が高くなった時期はそれが難しくなるといったことは考慮に入れたほうが良いように思う。水田稲作の伝来にも、おそらくは関わる話になるからだ。

本野原遺跡・上野原遺跡

さて、話は少し戻って、鬼界カルデラで起きた巨大噴火の影響がどのようなどのような物だったか?という話の判断材料になりそうなのが宮崎県の本野原遺跡(旧石器時代から室町時代にわたる遺跡で、紀元前2000~1000年頃の縄文時代後期には大規模な集落が営まれていたとされている)で、集落は径80mから100mの範囲をすり鉢状にアカホヤ火山灰を大規模に削平、除去した後に、広場と考えられる空閑地を中心に土坑、掘立柱建物、竪穴住居が径100mほどの環状に配置される構造である。

火山噴火の難を逃れて逃げた後に、恐らくは戻ってきた人がいたということなんだと思う。当時は文字文化がなかったので、どのような歴史であったかは不明なことが悔やまれる。

発掘調査を終えて埋め戻されてしまったらしく今はその面影がないようだが、そこそこの規模の集落があったことは間違いない。

他にも興味深い遺跡があって、鹿児島県の上野原遺跡で、発掘調査では17層の土層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認されたそうな。

ここの9層目で竪穴建物跡、集石遺構、連穴土土坑、前平式土器などが確認され、竪穴建物52棟、このうち10棟の竪穴建物内の埋土は桜島噴出の火山灰(紀元前7500年頃)が詰まっていたとか。第5層には鬼界アカホヤ火山灰を含んでいたらしく、その上の第4層にも縄文時代晩期の遺跡が確認されたという。

調べて見ると他にも噴火前後で同じ土地を使っていた形跡のある例えば鹿児島県の栫ノ原遺跡など多数の遺跡があって、貝塚などが残っていることも確認されている。こうした各年代の遺跡を調査していけば、稲作の跡はもっと出てくる可能性はある。

が、現時点でそうした水田跡などは多く出土しない理由を考えると、そもそも縄文時代に稲作はメジャーではなく、陸稲であっても積極的に栽培されるようなものではなかったと考えられる。

犬の埋葬

そういえば、縄文時代には人と共に犬も一緒に生活していた節があるという興味深い話があった。脱線ついでにちょこっとだけ。

toibitoより

犬の遺骨が埋葬されていたというのは、実に面白い。特に、生前に歯の一部を失った痕跡があったことから、恐らくは猟犬として使われていたのだろうという風に推測されている。まあ、石器時代から世界中でこうした犬との生活の痕跡は見られることから、縄文時代が特殊だというわけではない。

だけれども、興味深く感じたのは「四肢骨に骨折・治癒痕が確認された事例」があったという話。愛着が湧いてしまい、戦い傷ついた犬の余生を看取ったという風に理解出来る話。これ1つとっても、縄文時代は割と裕福な時代だったのかもしれない。

縄文時代の犬は人間の「大切なパートナー」…埋葬跡から装飾品発見、現代のペットにも似た関係性か

2023/11/24 17:41

縄文時代後期末から晩期(約3000~2400年前)の伊川津貝塚(愛知県田原市)で、犬を埋葬したとみられる跡から、巻き貝を加工した装飾品が見つかった。

讀賣新聞より

これなんかはちょっと鳥肌ものの記事なのだが、埋葬犬の近くに巻き貝を加工した装飾品が見つかったという内容が伝えられている。

貝塚が形成される以前に埋葬されており、さらに食用には適さない貝でもあることから、犬に供えられた装飾品と判断した。死ぬ前から犬に付けられていたものか、副葬品かは分かっていない。

讀賣新聞「縄文時代の犬は人間の「大切なパートナー」」より

埋葬する際に、間違って落としてしまった可能性ももちろんあるのだが……。犬の生前に飾りとして付けていたにせよ(猟犬に装飾というのは考えにくいが……)、死後に副葬品として用意したかは不明であるが、何れにしても犬を大切にしていたことが想像できる。

なお、日本最古の犬の骨は愛媛県の上黒岩岩陰遺跡という縄文時代草創期(紀元前5400年頃)からの遺跡で見つかっている。日本人と犬との付き合いは案外長いのだね。

猫もいた?!

えーと、犬の話をしたら、猫の話もしないと不平等だろう。え?関係ない?

見た目は猫の頭、名前はまだニャい…縄文時代の謎の土製品の愛称募集中

2023/01/12 09:41

福島県郡山市の大安場史跡公園は、同市西田町の町B遺跡から出土した縄文時代の「ねこ頭形土製品」の愛称を募集している。

市によると、ねこ頭形土製品(高さ4・6センチ、幅5・6センチ、厚み4・3センチ)は1999~2000年の発掘調査で一つ見つかった。ずんぐりとしたフォルムに小さなとんがりが二つ付いており、目鼻はない。見た目はネコのようだが、何に使われていたかは分からないという。

読売新聞より

こちらは、「猫」と決まったわけじゃないんだけどね。

縄文時代の土偶
紀元前3000~2000年

うんまあ、何というか、猫と言われればそう見えるんだけど。

なお、オオヤマネコが縄文時代晩期に日本各地に生息していたことはわかっているので、これらの土偶に何らかの影響を与えた可能性はある。貝塚からもオオヤマネコの骨が出土しているからね。

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ちょっとだけ弥生時代の話

弥生時代が到来

で、余り踏み込みたくはないのだけれど、軽く弥生時代の話はしておきたい。

弥生時代の米

弥生時代に伝わった米はどのようなものだったのでしょうか。

鳥取県で弥生時代に作られた米は 5 か所で見つかっています。青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった弥生時代中ごろの溝から見つかった米を調べてみると、中国から朝鮮半島をとおって日本に伝わったと考えられるものと、中国から直接日本に伝わったと考えられるものが混ざったものであることが分かりました。このことからいくつかの種類の米が日本に伝わっていることが分かります。

鳥取県のサイトより

弥生時代に水田稲作が日本各地に広がっていったことは確実で、そのお陰で人口が劇的に増えたとも言われている。

遺跡の名前時代説明
岩吉遺跡弥生時代終盤
(紀元200年頃)
水田跡、木庖丁や竪杵が見つかる
青谷上寺地遺跡弥生時代中盤
(紀元前100年頃)
水田跡、鍬や鋤などの道具が見つかる
中尾遺跡弥生時代中盤
(紀元0年頃)
ゴミ捨て穴から米が少量発見、平鑿、鉋などの鉄器も見つかる
目久美遺跡弥生時代初期
(紀元前400年頃)
水田跡、鍬や田下駄などの道具が見つかる
池ノ内遺跡弥生時代終盤
(紀元200年頃)
水田跡、鋤や木庖丁などの道具が見つかる

なんとなく西の方に弥生時代初期の遺跡があって、東の方に終盤の遺跡があるのが「伝わっていった」感じはするのだけれど、おそらく偶然だろう。

吉野ヶ里遺跡

そして、弥生時代と言えば最大の遺跡といわれる佐賀県の吉野ヶ里遺跡がある。卑弥呼との関係を示唆したことでも有名になったね。

吉野ヶ里遺跡の最大の特徴は、脊振山地南麓から平野部へ伸びた帯状の段丘に位置して、弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠が作られ、壕の内外には木柵、土塁、逆茂木といった敵の侵入を防ぐ柵が施されていた防衛拠点的な設備があったことだ。

Wikipedia「吉野ヶ里遺跡」より

定住して人口が増えたことで、争いが増えたことを意味している。どうやら縄文時代にはそういった抗争が少なかったらしいことが分かっているので、人口密度が上がって支配者と労働者の格差ができあがることで、争いも増えていったのだろう。

しかし、争いの跡は渡来人が縄文人を駆逐していったというような証拠ではなく、あくまで弥生人同士の抗争だったであろうことが、出てきた人骨の分析から分かっている。

この他、静岡県の登呂遺跡(弥生時代後期)、兵庫県の大中遺跡(弥生時代後期)、愛知県の朝日遺跡(弥生時代全期)などなど比較的大規模な有名遺跡があるが、何れも争いの跡が見て取れる。

朝日遺跡からは松菊里型住居跡と見られるものが見つかっており、日本では北部九州地方でもこの様式の住居跡が見られる。松菊里型住居跡は朝鮮半島の松菊里遺跡(紀元前850~300年頃)で見つかったことからこの名が付けられているのだが、朝日遺跡からは2箇所のみで、他は別の形式の住居跡であった。

このことから、弥生時代の朝日遺跡に朝鮮半島からの移住者がいた可能性は高く、恐らくは技術顧問的な立ち位置だったのではないか?と推測される。

平和だった縄文時代に比べて、弥生時代は比較的殺伐としていた様子が窺える。そうした時代に稀人を尊ぶ風潮があった可能性は高そうである。

続、犬の埋葬

また犬かよ!と思われる方、やっぱり少しだけ寄り道させて欲しい。

第27回「弥生時代の犬の話」(「とっとり夢ひろば」第90号 平成29年12月発行)

(これは、「とっとり夢ひろば」第90号(平成29年12月発行)へ掲載された記事です。)

~~略~~

縄文時代に続く弥生時代でも、犬は身近な動物でした。「地下の弥生博物館」と呼ばれる史跡青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)からは、350点以上(少なくとも20匹以上)の犬の骨が見つかっています。

お墓に埋められていた骨もあったことから、人間の大切なパートナーとして、青谷の人々と一緒に暮らしていたのでしょう。

鳥取県のサイトより

「犬と一緒に埋葬」というところに惹かれて触れた記事なんだけど、縄文時代からの連続性を感じる話として、この青谷上寺地遺跡からは矢の先が刺さったり、解体されたことがわかるイノシシやシカの骨も見つかっているので、狩りを盛んに行っていたことが窺える。

鳥取県のサイトより

香川県の遺跡からは、こんなデザインの銅鐸が出土したのだとか。「袈裟襷文銅鐸」と呼ばれる国宝指定の銅鐸なのだが、狩猟をイメージさせるデザインの中にイノシシと犬が描かれている。縄文時代からの連続性を感じると共に、農耕ばかりやっていたのではないことを示唆する話でもある。

本当は、弥生時代と言えば銅鐸、銅鐸は何に使われたか?!とかやりたかったが、稲作と全く関係ない話なので、この辺りで止めておく。

続・猫もいた?!

またか?!と思われた方、またなのです。

弥生時代をめぐってはもう一つ、近年の目覚ましい大発見も反映されている。穀物を保管する高床倉庫の再現模型の入り口に陣取るのは、かわいらしい2匹のネコ。

従来、イエネコは経典などの重要書物をネズミの害から守るため、奈良~平安時代に渡来したとされてきた。ところが近年、長崎県壱岐市の遺跡から弥生時代中期頃のイエネコと推定される骨が出土。日本へのネコの移入時期が一気に数百年さかのぼることになった。

「穀物は相当、ネズミの害があるもの。ネコがいてもおかしくない」(藤尾教授)

産経新聞「ネコの渡来は弥生時代だった 歴博展示室が36年ぶり刷新」より

そう、近年の発見で弥生時代にも猫がいたのではないか?と。長崎県壱岐市のカラカミ遺跡から紀元前200年頃の猫の骨(イエネコの橈骨)と思われるものが出土したのである。

なお、カラカミ遺跡からは犬の骨や馬の骨なども出土していて、なかなかバリエーションが多彩なうえに、面白い土器が出土している。「周」の刻字を有する弥生時代後期の土器片だ。支那から直接渡来したと見られている。

文字の概念はなかったはずの弥生時代だが、少なくとも漢字そのものは多数入ってきていたと見ていいだろう。

実はこのカラカミ遺跡から6㎞ほどの所に、魏志倭人伝に登場する「一大国」の国都と見られる原の辻遺跡がある。原の辻遺跡には船着き場と思われる跡も発見されていて、当時は相当文明の発達していた地域だったと思われる。支那では紀元前3300年頃にはイエネコを飼育していたと見られ、その骨が見つかっていることから、弥生時代の日本に輸入されていても矛盾はない。

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おわりに

……終わらなかったよ。

というか、第4回は長くなってしまったので記事を書き上げてから2つに分けることにしたんだよね。犬、猫、弥生時代辺りが敗因でしょうな。

最初は弥生時代に踏み込むつもりはサラサラ無かったのだけれど、弥生時代の時代区分を米作りに求めるというような話が出てきているので、少しは触れたほうが良かろうと思った次第。学生時代に学んだ時以上に殺伐としていてビックリしたが。

長く安定した縄文時代に、激動の弥生時代。稲作文化が栄えたというと、のんびりとした田園風景を思い浮かべていたんだけど、実際には人口密度が上がって権力構造がしっかりした結果、他の地域との土地の奪い合いをやったという。縄文時代にもあったんだろうけど、土地にこだわらない時代だったことが平安に繋がったとは、なんとも皮肉である。弥生時代に青銅器や鉄器が伝わったことも、争いに拍車をかけた一因なのだろうけれど。

次回、終わります。

コメント

  1. アバター who より:

    こんにちは。

    南方系日本人のルーツの可能性の一つであるスンダランド。
    ここの稲作文化も触れていくとまたページ数が増えてしまうかもしれませんね。

    • 木霊 木霊 より:

      こんにちは。

      スンダランドって何かと思ったら、水没した土地でしたか。
      個人的には黄海辺りにジャポニカ米発祥の地があったのではないか?という印象を得ていますが、確認しようがありませんからねぇ。

  2. アバター 山童 より:

    うげげ……鬼界カルデラってこんなにヤバいんですか……だって東北まで噴火被害で。そりゃ寒冷化するだろうし、ほぼ
    九州一円は火砕流で全滅では?
    この噴火に、潜伏期間が短かった時期の
    成人T細胞白血病ウイルスが流行したのたから、縄文人が激減するわけっすね!
    これアトランティス伝説の元ネタで、ミケーネ文明だかクレタ文明だかを滅ぼしたサントリーニ島噴火よりヒデーように思えますね。その後の冷害については言うまでもない。
    ジグムント・フロイト「モーセと一神教」では、ラムセスだか何だか大王が冷害で多神教を太陽神の一神崇拝に舵取りしたのがユダヤ教の始まりって話ですが。
    どーも(1世紀くらい時代ズレがあるけれども)その冷害の原因がサントリーニ島噴火が原因だろう言われてます。
    んで、どー観ても、そのサントリーニ島の噴火跡や島そのものより、は〜るかに鬼界カルデラの方が巨大です。
    よく縄文人は絶滅しなかったすね?
    いや〜記事と図をみて、慄きましたよ!
    で、鬼界カルデラって「また噴火」しないですか? 怖すぎるですが。

    • 木霊 木霊 より:

      鬼界カルデラは、噴火によって吹き飛んだ島があったということですから、周囲にかなりの火山灰などが降り注いだのでしょう。
      何というか、想像を絶する規模の噴火だったようですが、我々は体験したことが無いので、その恐ろしさを実感するのは難しいのでしょうね。

      サントリーニ島の話はミノア噴火(紀元前1610年)のことで、VEI=7に分類されています。つまり、規模のカテゴリーは鬼界カルデラと同じなんですが、その規模がどうだったかは評価できません。ミノア噴火の時には50mの津波が押し寄せたと言うような説明がありましたから、鬼界カルデラの形成時にも巨大な津波が日本列島を襲った可能性は高そうです。
      その辺りの論点を追求しませんでしたね、失敗失敗。

  3. アバター 山童 より:

    次いで猫土偶にはホッコリしまし(笑)
    あれ可愛くないですか?
    サンリオ製品かと思いましたよ(笑)
    んで猫に見えるんですよね。イタチ科の生物はあんなイカ耳してないし。イヌ科の
    タヌキやキツネにしては猫すぎる。
    弥生時代中期のイエネコ発見って大発見ですよ。船倉の経典を守る為の輸入……
    そう思われても当然だし、干支に猫がいない事や、元祖化猫談の国である中国でも、化猫が出てくるのって隋唐の唐代伝奇からですね。
    もともと猫って西アジア原産の砂漠の生物でしょう? だからソクド人とかが通商して、飛鳥時代あたりまで猫はいなかったと思ってた。
    すごい勉強になりました。
    やはり幾つになっても学ぶは大事すねぇ。木霊様に感謝m(_ _)m

    • アバター 山童 より:

      ちなみにサムネのキャッチ素敵です😁
      たまには、こういう遊びは楽しい。
      木霊様のユーモア感覚が出ています😁

      • アバター 山童 より:

        ラムセスじゃないや。
        アメンホテップでしたm(_ _)m
        たからアーメンて言葉が残ってますね。アメン、アテン、アモンはなんか太陽神を朝日、日中、夕陽に分けたらしいんですが、統一したとか。
        いや、なんで太陽神が3つもいる?
        いやラーも入れると4人か?
        よく解りません。魂がバアとカアに分かれるとか、シナ人に発想が似ていて良く解らないす。

    • 木霊 木霊 より:

      猫土偶の話は最近の発見らしく、猫がいつの時代から日本にいたかは稲作伝来に関する大きな証拠になりそうだと思っています。
      犬と猫と人間との関わりを調べていくと面白いことが分かるのかな、と。

  4. アバター 七面鳥 より:

    こんにちは。

    ちょうどNHKがこのところ「古代史ミステリー」やってて、興味深いです。
    ロマンですよね。

    ※時代が少し下がりますが、七面鳥は、天孫降臨とか八岐大蛇とか非常に裏があると考えている口でして。いわゆるヤマト陰謀論とでも言いましょうか。
    ※八岐大蛇は鉄器を生業とする地方豪族の平定、戸隠神社の奥社、土地神である九頭竜神社の上にタヂカラオを奉る奥社が抑えているのも象徴的、とか。

    ところで。
    >この噴火の影響に関する当時の書物はほとんどない
    ・記録を残す気がなかった
    ・残したくても文字文化がなかった
    ・文字文化も残す気もなかった
    ・その時代と今との連続性がなく、仮に何か残っていても散逸し取り返しがつかない上に読みたくても解読出来ない≒無いのと同じで誰にも顧みられずゴミ箱行きになった
    さて、どれでしょうね……

    • アバター 山童 より:

      九頭竜神社の上が、アマテラスを引きずり出したタヂカラオですか……
      江ノ島の江島神社は宗像3女神を祭神としてますが、元は弁財天社であったそうで。元は対岸に位置した龍口明神社は弁財天の夫の五頭龍を祀るてます。
      ゴズとクズ……似てるような。
      五頭龍は牛頭だった説があり、牛頭というは牛頭天王は須佐之男。須佐之男は八岐大蛇を倒した勇者。関係ないかなぁ?
      宗像三女神は須佐之男の剣から産まれてもおります。鎌倉には銭洗弁天があるけれども。アレは本来は鉄穴流しで砂鉄を取ったもの説がある。鎌倉霊園は昔から墓があり、窯を用いて火葬に利用した藻のたちが寺男となり、北鎌倉の建長寺の烏天狗の先祖とも言われる。
      同様に御霊神社には異形の者たちのパレードがありますが、そいつらは幕府開設前からの製鉄民でないか想うですね。
      鎌倉殿の13人はほぼ全員が平家の末裔ですが、彼らが三浦半島や相模に入植する前から人がいた。龍口明神社は飛鳥時代の建立ですから。湘南の寒川神社は古層に縄文遺跡が発見されてますし。
      相模東部から多摩地域は氷川神社が多くて、主祭神に須佐之男が多く国津神系。
      そして氷川神社は四肢のない龍神?である夜刀神を藁で編んで奉納する所が多い。つまり蝦夷、縄文、出雲、製鉄が絡んでいる地が多い。
      牛頭龍がゴズでなく、九頭竜が訛ったものならば
      色々と符合すると想うんですがねぇ。

      • アバター 七面鳥 より:

        >山童様
        うお!薮をつついてドラゴン出しちまっただよ!
        こんにちはです。

        福井の九頭竜川も、元は黒龍であったとかなんとか。
        https://go-centraljapan.jp/route/dragon/ja/07.html
        ※「九頭竜」自体を関する寺社仏閣は無いんですよね。

        祟り神の類いが調伏され、改心して奉られて土地神になる流れって、そういう、土着の集落とかを潰して、丁寧に奉るから祟るなよってした名残かなって思う次第です。

        ※なお、戸隠の奥社、冬場に行くとなかなかハードです。

    • 木霊 木霊 より:

      こんにちは。

      NHKの「古代史ミステリー」は見ておきたかった。
      アーカイブで見ることができるかも知れませんね。
      八岐大蛇の話を含めて、神話が示唆するところはなかなか興味深い。

      韓国の歴史書に関しては、色々言われていますけれども、僕自身は「歴史を大切にする文化がなかったので現存しない」という辺りが濃厚だと思います。特に古代朝鮮は何度も滅んでいますからね。

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