あっちでもこっちでも火種が燻っているね。
アゼルバイジャン自信深める 「アルメニア南部侵攻説」浮上―ナゴルノ奪還、大統領が国旗
2023年10月17日07時10分
アゼルバイジャン国営通信によると、アリエフ大統領は15日、アルメニア系勢力から9月に「奪還」した係争地ナゴルノカラバフの中心都市ステパナケルトを初めて訪れ、国旗を掲げた。米政治専門紙ポリティコは最近、自信を深めたアゼルバイジャンがアルメニア南部に侵攻する可能性があると報道。和平交渉は滞り、対立がさらに先鋭化するという観測が浮上している。
時事通信より
ここの話、ナゴルノ・カラバフ奪還だけでは済まなかったようだ。人の欲は際限ない。
アゼルバイジャンのアルメニア南部侵攻リスク
飛び地を抱えた国
「人の欲は際限ない」とは書いたが、アゼルバイジャンに正当性が無いというわけでは無いんだよね、この話。
先ずはこちらへのリンクを。
先日、ナゴルノ・カラバフの所有権がアルメニアからアゼルバイジャンに移った。
アゼルバイジャンとアルメニアの関係はややこしく、アゼルバイジャンは依然として飛び地を抱えている。以前は、アルメニアの飛び地がナゴルノ・カラバフという形で、お互いに飛び地を有している不思議な関係であったが、今はアルメニア側の飛び地は解消しているのだ。
が、アゼルバイジャンとしては、飛び地として存在するナヒチェワン自治共和国へのアクセスが可能な土地が欲しいという話が依然として残ったままとなっている。
ザンズゲル回廊
で、この飛び地状態を解消するために、アゼルバイジャンは新たな戦争を引き起こしかねないと、一部で見られているというのが冒頭の話だ。
図解すると分かり易いのだが、アゼルバイジャンの飛び地、ナヒチェワン自治共和国はアルメニアによって分断されている。
こんなややこしい事になったのは主にロシア(旧ソ連)のせいなのだが、これまでお互いの飛び地を巡って紛争が燻っていた。
「われわれは30年以上、この日を待っていた」。アリエフ氏は、約12万人のアルメニア系住民の大半が去ったナゴルノカラバフに足を踏み入れ、自国民向けの演説で強調した。
紛争はソ連時代の1988年に勃発。アルメニア系勢力が91年、アゼルバイジャンから分離独立を主張し、94年の停戦後も対立が続いた。2003年に父親から大統領の座を継承したアリエフ氏は、15日の演説で「就任当時、領土一体性を守ると公約した。過去20年間の課題を解決できたことをうれしく思う」と胸を張った。
時事通信より
で、このたびナゴルノ・カラバフ奪還に成功した上で、国旗を掲揚してアゼルバイジャンの大統領は「領土一体性を守る」と発言した。この言葉通りに解釈すれば、当然ながら飛び地になっているナヒチェワン自治共和国の問題を解消するつもりもあるのだろうと、そのように解釈するのが妥当だ。
2020年ナゴルノ・カラバフ紛争
第2次ナゴルノ・カラバフ紛争、或いは2020年ナゴルノ・カラバフ紛争と呼ばれるのが、2020年9月から11月まで続いた紛争で、アゼルバイジャンが戦端を開いて、アルメニアとの間で散発的に戦闘が行われた。
紛争の規模はさほど大きくは無かったが、外国人の記者が巻き込まれたとして騒ぎになった。
で、何とか国際社会の介入もあって停戦合意に漕ぎ着けたわけなんだけど、アゼルバイジャン側が終始押していた様な感じで、アゼルバイジャンの方が有利に停戦に漕ぎ着けた。
ナゴルノ紛争「完全停戦」で合意、アゼル「アルメニアの降伏」と主張
2020年11月10日 9:40
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は10日、アルメニアとアゼルバイジャンが係争地ナゴルノカラバフをめぐる紛争で完全な停戦に合意したと発表した。アゼルバイジャンの大統領はこの停戦合意について、アルメニアの降伏だと主張した。
AFPより
この時にアゼルバイジャン側が獲得したのが、ナゴルノ・カラバフ地域の約4割の奪還と、飛び地であるナヒチェワン自治共和国と本土を結ぶ輸送路である。これがザンズゲル回廊だと言うことになる。
ところが、この回廊の整備は余り進んでいない。
ただ、アリエフ氏の「野心」はナゴルノカラバフにとどまらないとの見方が強い。アルメニア南部の先にあるアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェワン自治共和国と本土をつなぐ回廊の確保が、未解決の課題として残っているためだ。
時事通信より
これを力で解決するのでは?というのが冒頭の話なのである。
停戦合意の履行
そもそも、合意の履行を果たしてくれというのが、アゼルバイジャン側の主張であり、歴史的経緯を見ると、ザンズゲルはアゼルバイジャンの領土であった時代もあったようだ。
ポリティコによると、ブリンケン米国務長官は3日、複数の民主党議員とナゴルノカラバフ情勢に関して電話協議。「アゼルバイジャンが今後数週間以内に、アルメニア南部へ侵攻する恐れがある」と警告したという。懸念が現実となるかは不明だが、仮に軍事占領すれば、アゼルバイジャンは本土とナヒチェワンを地続きにできる。
時事通信より
この方針の後押しをしているのがトルコで、アゼルバイジャンはトルコと協力してザンズゲル回廊の取得を目指す可能性が出てきた。
トルコ、中央アジアに影響力 「アゼルバイジャンへ回廊」 アルメニア、イラン反発 地域不安定化も
2023/10/4
旧ソ連のアゼルバイジャンが、係争地ナゴルノカラバフでの戦闘に勝利したことを受け、アゼルバイジャンを支援してきたトルコが地域での影響力を強めようとしている。トルコはアルメニア領を通過してアゼルバイジャンにつながる回廊を整備し、自国と民族的に近い中央アジア諸国との連携を深める構想を抱いている。
毎日新聞より
この方針に同意していたと見られる話は、去年の11月のニュースにも見られる。
アゼルバイジャン大統領:ザンゲズル回廊の開通により、地域のすべての国が利益を得ることになる
2022-11-11
第二次カラバフ戦争の結果は、この地域に新たな機会をもたらす。
AJMEDIAによると、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は、サマルカンドで開催された第9回トルコ国家機構サミットでのスピーチで、このように述べたという。
大統領は、アゼルバイジャンはザンゲズル回廊の創設を積極的に推進し、その領土で回廊に関連する大規模な活動を実施すると述べた。ザンゲズル回廊の開通により、この地域のすべての国が恩恵を受けることになる。
AJMEDIAより
やる気があるのは良いことだといえないのがこの話。アルメニア側が弱気でいるのなら、さっさとザンズゲル回廊を作ってしまえば良いのだが、それをグズグズとしていたために、どうやらアゼルバイジャンは実力行使を画策しているようだ、という話。
実際実行するかは分からないが、再びアゼルバイジャンとアルメニアの間での紛争が発生するリスクはどうにも避けられない感じになってきている。
コメント
トルコは変わりましたねぇ。ケマル・パシャはオスマン・トルコの敗戦後、敗戦からの独立という離れ技を達成したのですが、なんだかんだ言って、それを強欲英仏が認めたのは、ガリポリで彼の指揮で痛い目にあわされたのと、彼が小トルコ主義だったからでせう。
完全に中央アジアと切れましたから。
その辺はスウェン・ヘディンの中央アジア探検記を読むと解るんです。漢民族イスラム教徒の軍閥の馬将軍とか出てくるんですが、トルコと関係が無い。
英国諜報機関とソ連の鍔迫り合いのノンフィクションでも、トルコの影響ゼロでしたし。大トルコ主義のライバル将軍はいたですが、こちらは敗死している。
で、ムスタファ・ケマルの新生トルコは、世俗主義と大トルコ主義との別離で1世紀あまりやってきたと。
エルドアンがやっているのは、ケマル・パシャの真逆ですね。オスマン・トルコの覇権をもう一度と、なんかプーチンや習近平のマネみたいな事をやってる。
覇権国家は無理にしても、中央アジアを主導して地域大国になろうと。
たしかに汎アラブ主義とか汎イスラム主義とか、イスラム世界で宗派を超えた思う看板を張ろうと言うのって、カダフィとフセインの死後いませんから。狙い目なのかもしれない。
サウジやイランは看板に宗教色が強すぎますし。ただ思うんですが、中央アジア取ろうとすると、いずれはロシアと衝突しますよね。中央アジアはロシアがずっと衛星にしてきた地域だから。
コレは中国が米国の庭である中南米に手を出しているようなものです。
今は協調してるように見えるが、いずれはロシアと事を構える気なのかなぁ?
そこが気になるです。
トルコは、ロシアとの関係をつかず離れずという微妙な立ち位置、立ち回りで上手くやっているなという印象です。
経済的にはなかなかの混乱っぷりですが、政治は素直に「上手いな」と感じますよ。
特に、欧州とも距離を取るというのは、絶妙なバランスで泳いでいますから、なんとかやれている感じに見えますね。それ故にトルコの独裁政権は続くという感じなんでしょうけれど。
トルコが中央アジアとのパイプを強めている背景には、支那との距離をしっかり取りたい。一帯一路が実現した時にイニシアティブを得ておきたいというような狙いがあるのかも知れません。
こんにちは。
端的に、アゼルバイジャンは、ナゴルノカラバフで国際社会がほとんど干渉しなかったから、いい気になってアルメニアに攻め込む、非情に単純な見方ですが、だからこそ正解な気がしてなりません。
なにしろ、親玉のロシアが今それどころじゃないですから。
今、金の価格が暴騰しているそうで、二人のプーが貯め込んでるのでしょうけれど、これが暴落する時がアポカリプスの始まりでしょうかね。
こんにちは。
アゼルバイジャンが「調子に乗っている」のは間違いないでしょう。
ただ、政は勢いに乗ることは非常に大切ですから、この勢いのままに前回の約束というヤツを掲げて回廊制圧。自国の領土として切り取ると、将来に禍根は残すのでしょう。ただ、短期的な利益は大きい。だから、なんでしょうね。
アポカリプスは遠慮申し上げたいなぁ。
トルコ変わった。。。そうかもですが。。。ロシア変わった。と言う見方もあるのでは?
何せ今のプーチン氏
「ロシア正教会、主席エクソシスト」
なんて冗談みたいな肩書(2022.11より)で権威づけしてまあ(笑)
ソ連の再興。ならBOOKも評価ですが、
このノリならエルドアンだって「オスマン帝国・後継者」ノリで
ロシア?
皆殺しは可哀そうだから見逃してやった東ローマの残党共だな。
北の偏狭に落ち延びて蛮族に拾われ、血筋だけ利用して旗上げた。実質蛮族
。。。って内心だったら面白い(笑) - - - すみません。ほぼ全部冗談です。
ああ……ツァーリって元はビザンチンの称号ですものね。たしか東方へ向かったバイキングがキエフ公国をたてて、そこがギリシャ正教(皇帝に大司教の任命権がある)を国境としたのがロシアやウクライナの始まりでしたっけ。
ただ蹴散らしたのはテュルクではなく
モンゴルですよ。
それでタタールの軛で数百年過ごすけれど、モスクワ公国がモンゴルの騎兵戦術を学んでしまい、逆にモンゴルを追い出すようになる。
んで、モスクワ公国が周囲のルーシーの小国を併合していったのがロシアの始まりのはず。イスラム側はモンゴルに押されまくって、頑強に抵抗したのがアサシン(イズマィリ派の暗殺教団)で。
それも滅亡させられて、どうにかエジプトで奴隷兵(名称わすれた。マムルークでしたっけ?)出身の将軍がどうにか食い止めた…だと思いましたが。
ああ…ひょっとするとイスタンブールが陥落した時のお話ですかね?
たしかにビザンチンはアレで滅ぶ。
でも、もともと一回は同じキリスト教の十字軍に滅ぼされてラテン帝国とか造られてしまってる「亡命政権」でなかったかなぁ?
東ローマ帝国って、名前負けなんですよね……。オスマン朝に滅ぼされた時は東ローマ時代の1/10くらいしか領土のない都市国家に過ぎなかったと思いますが。
その後はキプロス島、ロードス島、マルタ島と、現存する唯一の騎士団であるマルタ騎士団が奮戦して、どーにかマルタで食い止めた後に、レパント海戦で地中海(ヨーロッパ)から撤退してゆくのではなかったかな。それでもウイーンを包囲したり、20世紀初頭まで広大な地域を支配(但しエジプトは19世紀にクーデターで独立)したのは流石とは思いますけれど。
>ああ…ひょっとするとイスタンブールが陥落した時のお話ですかね?
ええ、勿論!!!
オスマン帝国&オタク目線で見て下さいよ「コンスタンティノープルの陥落」「メフメト2世!」
・コンスタンティノープル→イスタンブール 、まあ単なる方言発音の言い換えですが
・ウルバン砲→城壁防御を過去のモノにした、世界初の攻城用「超弩級」巨大・大砲兵器
・軍艦を地上に上げ移動させた → 陥落決定打の「世紀の大奇策!」
(普通思いついてもやらんだろ、、(笑)
結論:オスマン帝国を世界帝国とするだけの基礎を築いた。
エイドリアンがプーチンに威張るならこれですよ(笑)
しかし「メフメト2世」間違いなく我ら中二病患者の「神」と言って良い。
続けて調べてみるとオスマン帝国 vs ロシア:露土戦争 まあいっぱいやっててロシアの12戦9勝。 こんだけ負けてて続けるオスマン帝国。根性ありますわー。さすが末裔エイドリアン(笑)
オスマン朝は、コンスタンチノープル陥落の時も、あとロードス島からロードス騎士団(後のマルタ騎士団)が撤退する時も、財産の持ち去りを許したり、市民の残留を認めたり(人頭税を払えば改宗せず良い)、サラディンを彷彿させる騎士道精神ある君主多い。
そこはフランキの鬼畜ぶりよりは認めてます。
でも元は半奴隷戦士の傭兵集団で、どうしてもイラン・ペルシャ人に見下される。
イラン人はテュルクの支配になってからも官僚として残るし。やはりイスラム圏では、
2級市民の出身である事が、
イスラム帝国を作ったアラブ人やペルシャに軽蔑される。
そこがエジプト総督にクーデターで独立されたりしてしまう由縁ではないですかね?
サダム・フセインやカダフィがやろうとした汎イスラムや、
汎アラブ主義みたいな頭領になろうとするのは見上げたものなんですが、帝国崩壊後に独立戦争に勝ち、かつ世俗主義で西欧に認めさせ、さらには第二次世界大戦不参加したムスタファ・ケマルに比べて、
エルドアンの評価は低いです。
てか、あのまま大トルコ主義で貫くと、確実に西欧からは見捨てられると思いますよ。
まぁEUには入れないだろうから、無駄な夢を追わず、自国の拡大に割り切った政治判断は
なかなかの度胸と思いますが。私はイライラ戦争で日本政府の見捨てた父親たちをトルコ共和国が救援機で救ってくれたので、政権担当が誰になろうと親トルコ派ですけど。
そういやウラル・アルタイ語族って学説は否定されてますね。でも、語順がSVO型でなく、SOV型で、日本語そっくりなんですね。同じ様に膠着語だし。さらに…てすよ。
トルコの田舎にゆくと、なんと
コタツがあるんですよ!
どーも、どっかで繋がってるとしか思えない。
倭人の国が燕(現在の北京付近)より北西にあると山海記にあり、また隋書やら後漢書だかに、やはり燕から北西、
オルドス方向に倭人国があったという記載があった。
それ柔然とか突厥(テュルク)のテリトリーがあった地域で、どうも倭人は中国南方系だけでは無さそうなんですね。騎馬民族征服王朝説は否定されてますが、「征服」の2文字を外せば、いたとは想うんですよ。騎馬民族が。
秩父の和銅谷を開いたとされる羊太夫の伝説や、あと御嶽神社や三峯神社の狼神崇拝(大陸内部の騎馬民族に多い)とか、毛人とされた関東の豪族ケヌ氏の領地からは馬蹄や馬具が発掘されてますし。
関東と九州は火山性の土壌で、古代は広大なススキ原でした。だから牧が置かれて馬産地になる。
聖徳太子が乗って富士山頂に登ったという黒駒とか、どう考えても騎馬民族が関係してる気がします。聖徳太子だって信長時代までは騎射をよくする軍神でしたしね。
邪馬台国に牛馬がいないという魏志倭人伝の記述から空白の4世紀を経て、いきなり騎馬が流行るのは、北魏(騎馬民族王朝)由来の仏教とセットで来たとしか考えられない。
テュルクが西へ向かったのは歴史的な事実ですが、東へ向かい日本へと来た連中もいたような気がするんですね。
バカな事を言うようですが、
トルコ語の日本語対訳文を読んでみて下さい。ホントに語順が日本語そっくりですよ。
ところで、そのナントカ砲って、早すぎた後装砲の事ですか?
大砲の後ろ上面に穴があいていて、装薬した薬莢を上からセットして、蓋をして点火するやつ。
予め装薬しておけば連射できるスグレモノでしたが、上面に蓋をして点火するから、起爆薬を増やすと砲口でなく蓋から噴射してしまう。それ故に
前装填式に変わられてしまったというアレですが。ロードス島戦の時にはすでにマッチロック銃があったはずですが、大砲はそこまで改良されてたかな?
>ところで、そのナントカ砲って、早すぎた後装砲の事ですか?
ええい!控えよ!
このBOOKが、その程度のシロモノに「神」とか「超弩級」とかの大惨事(笑、賛辞)を送ると思うか!
ハンガリー人ウルバンが、始め東ローマ帝国に売り込んだが相手にされず、
オスマン帝国でも追い出されそうになったが「メフメト2世」だけが、目を輝かせた。
当時、どころか史上最大、戦艦大和主砲の約3倍
直径1m超×砲長8m 砲弾重量 500kg の大砲【まさに超兵器!】
(ただし砲弾は「岩」 1日8発しか打てない)
しかし「メフメト2世」は、この弱点まで理解し、数十門のウルバン砲を戦場に持ち込んで1日中砲撃。当時「アラーの神でも攻略不可能」と言われたらしいコンスタンティノープルの3重城壁をコナゴナに打ちこわした。(メフメト2世って、ぜってー転生未来人だろ、笑)
ウワサは欧州各国を恐怖に慄かせ「城壁」から「要塞」への戦術転換をヨーロッパにもたらした。
歴史の尾ひれもあるかもだけど、ググって見て、ちゃんとブツも残ってる実在の大砲ですよん!
いや、すげえですねウルバン砲。
冷蔵庫くらいの岩を飛ばすわけでしょ?
大砲って当たらないもので、だんだん着弾点を近づけてゆくものなのですが……
いや、コレ着弾集中できなくても、
ズラッと南面とか北面とか城壁前に並べて撃てば、あっちもこっちも補修で混乱に貶めるでせう!
んが、…正直にコンスタンチノープルの城壁を破ったのはコレでない思いますよ。
1日8発じゃ足らなすぎ!
おそらくは、城壁下へと坑道を掘り、火薬を仕掛けて爆破。ほして城壁を陥没させたのが実相でせう。
効率的にはモンゴルの回回砲のカタパルトの方が実践的と想う。ただ、結果として城壁が崩れれば、それは「新兵器」の威力となる。当然に新兵器の無いビザンチンはビビる。その「誤解情報」をあえて使ったスルタン?の「読み」は鋭い。
つまり新兵器の威力というよりも、その宣伝戦、情報戦に飼ったのが偉いと。
戦争の行く末って、あまり変わって無いなぁ……
河太郎様 ウルバンねた、お付き合い頂きありがとうございます。(笑)
>…正直にコンスタンチノープルの城壁を破ったのはコレでない、、、
はい、史実は凡そご指摘の通りで、こいつは「超ハッタリ兵器」が正しいんでしょうね(笑)
ただ、15世紀のことなので、そうした正しい史実がきっちり認識されるには西欧・オスマン帝国とも近代国家になる18世紀近くまで待たなきゃならなかったらしい。(今ならスマホ動画で一瞬ですが、、(笑))
このため「コンスタンティノープルの陥落」戦、の副次効果「ウワサは欧州各国を恐怖に慄かせ「城壁」から「要塞」への戦術転換をヨーロッパにもたらした」のは事実で、
貴兄ご指摘の「ロードス島」も、「単なる高い城壁」を「厚さが高さの2-3倍+同じような堀」という要塞構造に建て替えられてますし。
以下推定ですがもっと小国なら「オスマン帝国には信じられない超兵器がある!」てウワサだけで降参してきたりとかもあったかも?
しかしビザンチン秘密兵器「ギリシャ火」はどうした?😁
私は後にトルコ海軍となるババリア海賊と、ジェノヴァ、ヴェネチア、
イスパニアの海軍の海戦を調べてた事があるんですが。
赤髭と呼ばれたババリア海賊王兄弟の弟が、トルコ海軍提督の称号をもらい、ビザンチン海軍や海賊(ロードス騎士団)とさんざん交戦してるんですが、ビザンチン海軍はぜんぜんギリシャ火を使わないんです。
実は「そんなもんなかった!」のでは?と疑ってます。
実際、火炎放射器を持っていたならば、コンスタンチノープルで使わない訳がないのに。
でんでんキリスト教側にも記録がない。そこいくと?マークついても、ウルバン砲は「現実」ですからね。
何より情報戦で負けてますよ。
キリスト教国が欲まみれで歩調が揃わないのは十字軍いらいですが、
イスラムだって一枚岩なわけじゃない。んが、急速に地中海の覇権をオスマン・トルコが握っていった過程を観ると、やはりトルコの指導者層が西欧より優れていたと想いました。まぁレパント海戦で敗けちゃうけどね。てもアルカイダじゃなかったアルマダは、その後に英国の海賊どもに敗けちゃいますからね。
トルコは陸軍国だから、黒海からクリミア半島周辺のスラブ系を抑えておけば良いや……と撤退したたけで、
別にレパントの海戦は負けても惜しくはなかったのだと想うんです。
ただ、周辺の海を往来する勢力を利用して、海に出てくる「やり口」は、尖閣周辺に民兵化した漁民を使ってくる北京と似ており、海上覇権の奪い方という点で参考になるとは想うんですよね。