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支那は「宗教の自由はある」と主張し米報告書を非難

中華人民共和国ニュース
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驚きのニュースを軽くもう1つ。

中国、ウイグル族ら弾圧を非難した米報告書に「各民族は宗教の自由を享受している」と主張

2024/7/1 20:56

中国外務省の毛寧報道官は1日の記者会見で、米国務省が6月発表した報告書で中国政府がイスラム教徒の少数民族ウイグル族やチベット仏教徒らを弾圧していると非難したことに「断固とした反対」を表明した。

産経新聞より

嘘つきは支那外務省の始まりである。どう考えても「宗教の自由」など存在しないだろう。

支那における信教の自由とは一体……

信教の自由を有する

報道官の毛寧氏といえば、なかなかの知名度を誇る人物だと思う。そして、口を開けば大抵妄言というところも有名である。まあ、それが彼女の仕事なのではあるが。

毛氏は「中国の各民族は信仰の自由を十分に享受している」と主張し、中国の宗教政策を正当化。「米報告書はうそに満ち、中国の宗教政策をおとしめている」と反発し、宗教問題を利用した内政干渉をやめるべきだと米国に訴えた。

産経新聞より

宗教の自由とは一体……?

実のところ、支那の憲法には「信教の自由」をしっかりと謳っている。驚きだね。

「中華人民共和国公民は、宗教信仰の自由を有する」(中華人民共和国憲法第36条)。しかし、これは中国国民、そして国際社会を欺すために作られた狂言とも言える。憲法の第2章「公民の基本的権利及び義務」には、「言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由」、そして「宗教信仰の自由」など、近代民主主義の価値観にふさわしい内容が全て備えられている。

「畏敬」の争奪より

が、そんなモノに意味があるかは支那人民ですら誰も信じてはいない。実際には架空のものだし、この憲法の上に支那共産党が存在するのだから、共産党の意向こそがすべてなのである。

習近平を崇めよ

そして、支那における信教の自由の実態については、例えばこんなニュースがある。

中国がモスクを「閉鎖や破壊」 信仰の自由を抑制=国際人権団体

2023年11月22日

中国がモスク(イスラム教の礼拝堂)を閉鎖あるいは破壊したり、別の目的で利用したりしているという報告書を、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が22日に発表した。

モスクに対する取り締まり行為は、中国でイスラム教の信仰を実践することを抑制するための「組織的取り組み」の一環だと、HRWは最新の報告書で指摘した。

中国には約2000万人のイスラム教徒がいる。同国は公式には無神論国家だが、信仰の自由を認めているとしている。

しかし専門家らは、中国では近年、組織化された宗教に対する取り締まりが強化されており、政府がより統制しようとしていると指摘している。

BBCより

何故、支那が「信教の自由」を謳いながらも、宗教に対する弾圧を加えるのかと言えば、宗教が支那の「指導」を否定する要素があるからだ。

チベット仏教においては、ダライ・ラマこそが指導者でありチベット仏教こそが正しい教えということになっている。

また、イスラム教徒にとっては、アッラーこそが唯一絶対の神であり、預言者の言葉の綴られたクルアーンの教えこそが正しいのである。

つまりこれは、習近平氏の「正しさ」の否定に繋がってしまう。宗教の教えが何であれ、習近平氏を否定するモノがあってはならない。それが今の支那なのだ。

「中国化」とは宗教的な信念を中国の文化や社会を反映したものに変えようとする、習氏の取り組みを指す。

中国政府はモスクの統合について、イスラム教徒の経済的負担を軽減するのに役立つと主張している。しかし、回族のイスラム教徒の中には、自分たちの忠誠心を共産党に向けるための取り組みの一環だと考える人もいる。こうした統合は、村の移転や統合の際にしばしば起こる。

BBC「中国がモスクを「閉鎖や破壊」」より

よって、宗教の「支那化」を進めているのである。為政者の都合の良いように書き換えられる宗教というのは、歴史上珍しくもない話ではあるんだけど。

なお、これはキリスト教にも及んでいるようだ。

中国で急増するキリスト教徒 共産党監視下なのになぜ?

2020.12.19 11:00

もうすぐクリスマスがやってくる。意外にも中国で、クリスチャンが急増しているのをご存知だろうか。

中国の総人口14億人のうち、キリスト教徒が約5%を占めている。中国でキリスト教会が公然と活動するには、中国共産党政府が認めた団体に所属し、政府当局に登録しなければならない。政府は教会に対して、教会は、外国の影響力を排除し、中国人によってが教会運営することを要求している。非公認の教会を含めると、総人口のうち約10%に近い1億3000万人に上るという見方もある。

Forbesより

支那にもキリスト教の教会が存在し、信者も多数いる。そして信者は年々増えているのだとか。しかし、支那共産党が認めた団体以外は「邪教」である。

政府の公認教会である支那天主教愛国会は、バチカンと断交した状態を続けており、独自の階級制度を持っているようだ。その教えはハッキリしないが、おそらく習近平氏を否定するモノではあるまい。

しかし、本質的にキリスト教は聖書の教えが正しく、それに反する習近平氏の思想とは相容れないハズなのだ。そうではないとしたら、とんだ紛い物である。

支那において許される宗教というのはそういうモノであって、唯一神を崇めるタイプの宗教は完全にタブーである。

コメント

  1. アバター 河太郎 より:

    独自の階級制度を持った天主教……
    いや、それ太平天国でないすか。政府がカルト教団を抱えてる(笑)
    ちなみに2014頃に、やたらと恩州とかで
    教会破壊されていたのはプロテスタント系ですね。聖堂の扱いや十字架で解る。
    天主教(カトリック)は十字架にイエスの磔刑像がほどこされますが、プロテスタントはやらない。
    あと聖堂(祈り場・プロテスタントの場合は礼拝堂と呼ぶ)聖人の像やイコンみたいなのをプロテスタントは飾らない。
    聖人を飾ってるから聖堂なので、これは
    講師廟や関帝廟などの道教系も聖堂と呼びますが。
    天主教がバチカンともメタのは、枢機卿の選定は法王が行う事に、北京政府が「我々にやらせろ!」と言ったから。
    法王は国王就任の冠を戴冠させたり、各地各国の枢機卿を任命するのが仕事。
    それを一政府機関である北京が、権限を与えろというのだから決裂して当然!
    我々は皇室があるので分かり易いですが、俗世の実権力と、権威の象徴としての聖を分けるのは西欧とアジアでは「当然」な事ですね。
    そこが支那やロシアには解らないんですよ。たから支那天主教は永遠にカルト化し続けるでしょ。

    • アバター 河太郎 より:

      そうそう、「天皇制」と言うのは、コミンテルンが決めた左翼用語らしいですね。
      戦前は単に「皇室」と読んでいたらしい。知らんかった😮‍💨
      なので今後は天皇制にかんするワードは
      「皇室」または「皇統制度」とコメ時には書かせて頂きます。

      • 木霊 木霊 より:

        そうなんですよね、「天皇制」を持ち出してきたのはコミンテルンで、定着させたのはGHQと言いますから、従う必要はありません。
        僕自身も統一できているかどうかは怪しいのですが、皇統或いは国体という言葉を使いたいと思っていますよ。とはいえ、「国体」という言葉の方は馴染みが薄いのと、戦後「悪い言葉」というレッテルを貼られたので使いにくいのですけれど。「支那」の言葉を使い続けている僕が言う事でもないのですが。

        • アバター 河太郎 より:

          まぁ支那は私も気分次第で使いますから。震担は結局は使ってませんし(笑)
          しかし厄介な国だなぁ。このまま増長させては困るし、かといって下手に分裂内乱されても面倒くさい。
          もっと厄介なのが韓国で、あの国がどうなろうと構わないのですが、日本に来る物流のかなりが釜山でコンテナの仕分けしてますから、支那に南が渡ると困るのですね。ホントにこいつら面倒くさい。

    • 木霊 木霊 より:

      やっぱり、河太郎さんなら「太平天国の乱」ってな話を持ち出しますよねぇ。僕もそれを思い出しましたし、途中で引用したキリスト教の記事には、「信者が増えている」という不気味なことが書かれているんですよね。
      政治の失敗に宗教が入り込んでくるとろくなことになりません。

      水害の話も相まって、なかなかどうして内乱の予感がしてなりませんよ。

    • アバター 七面鳥 より:

      カトリックとプロテスタントの違い、日本ではあまり気にされてないですよね。
      同様に、「日本は無神教国家」と西欧では思われているらしく……

      日本は世界でまれに見る「宗教何でもあり」の、ゆるい戒律の、自由宗教国家なんですけどね……

      ※最近、神仏混合の考え方の一つとして、「人が死ぬと仏になり、仏が修行して神道の神になる」という思想もあるのだと知りました。

      宗教は麻薬ですが、ある程度は必要なのも自明。
      宗教を否定する共産党なのに宗教を利用しようとする歪みが、またぞろ歴史を繰り返さないと良いんですけどね(繰り返して欲しいと思ってるのはナイショ)

      ※例の小説で、舞台をチベットにしている関係で、ちょっと調べましたので……

  2. アバター 河太郎 より:

    仏が修行すると神になる。神道の氏子のくせに知りませんでした😯 
    なるほど。宗教は麻薬とは、うん、そもそも世界史の四大文明の各地は、黄河流域を除くと「幻覚植物の原産地」でせもの。宗教と麻薬が無関係のはずない!
    んで関係なさそな中国でも、麻薬の蔓延は古いすよ。散歩の語源が五石散という
    覚醒剤なのですから。記録された最初の中毒者が三国志の曹操の甥です。
    以後、唐代に殲滅されるまで300〜400年くらい猛威を振るい、孫文に言わせると
    総計200万人が中毒者になったと。
    だから近代に阿片に浸るようなったので、別に中国だけ麻薬と無縁じゃない。
    これらが宗教と無縁とは考えられないんですよねぇ。あのシャーロック・ホームズだってコカイン中毒者ですし(笑)

    • 木霊 木霊 より:

      神仏習合はなかなか無理のある考え方だと思っていましたが、調べて見たら結構古くからの理念なんですね。
      良くも悪くも和洋折衷的な取り込み方をする日本ですから、「仏が修行すると神になる」というのもあるのかなとは。

      麻薬と宗教ですか。
      悟りを開くためには「そういう体験」が有効だと言いますから、親和性が高いのでしょうね。

  3. アバター 音楽大好き より:

    木霊様、皆さま、今晩は

    上のコメントとは別の観点から・・・

    共産主義は一種の宗教ではないかと思っています。指導者が人民を導くのですから、指導者は完全でなくてはなりません。この点で既に「ありえない」のですが・・・

    一神教では「神は完全」なのですが、残念な事に「神の声」を聴く事はできないのです。なので「預言者」が登場します。預言者の言葉を神の言葉だとするわけですが、それが正しいかどうかは議論されず「正しい」とされてしまいます。預言者が「〇〇を倒せ」と言えば、テロリストは正義の戦士、英雄になってしまいます・・・(v_v)

    共産主義の「指導者」は、この「預言者」みたいなもので、指導者は「〇〇」と言えば、それが正しい事になってしまいます。
    このような世界では、絶対的な最上位者(指導者)よりも上位の存在を許す事は出来ません。それを許してしまうと、指導者が絶対的な最上位者ではなくなってしまいますからね。
    かつての共産主義国家では「宗教は禁止」だったのですが、いつの頃から「信教の自由」とか言われ始めました。でも、それらの宗教の「神」は共産党の指導者に従属すべきものなのです。
    これでは「信教の自由」ではない。

    というわけで、中国やロシアでは「信教の自由」などない。と思っています。
    ・・・ロシア正教の現状はどううなんでしょうね・・・調べてみる元気・・・ない。

    • 木霊 木霊 より:

      こんにちは。

      共産党は正に宗教でしょう。
      「神」ではなく「指導者」がトップであるだけで、疑ってはならないというのですから、一体何が違うのかと。

      ロシア正教は……、あれは良く分からないんですよね。
      今のロシア正教はプーチン氏との関係は良好みたいですが。

  4. アバター 河太郎 より:

    そういえばそうですね。
    ロシア正教の大司教の任命権はツァーリにあるのですが(ビザンチン以来の伝統)、いまは皇帝いませんしね。
    オーソドックスには各国に大司教がいるだけで、国家を超えた法王みたいのはいなかったはすですが。かといってバチカンみたく法王選出会議みたいのやってる話も聞きませんし。誰が決めてるのだろ? 

  5. アバター 河太郎 より:

    音楽大好き様と七面鳥様の御意見を拝読するに、宗教が一定に必要なのが解るすね。何故か?
    そりゃ人間が知能ある為に、ある程度の未来予測ができちゃうからですね。
    ここで恨みを買うと後から……とか。
    投資して資産形成しないと年金じゃ…とか。未来予測できる故に「不安」というものから逃れる事はてきない。現在も中国政府から追われている者に風水師がいます。北京の中南海で活躍し、莫大な隠し資産を作り国外逃亡した。
    北京の上層部にはそういう呪いをする自称超能力者にハマる連中がいるんです。
    まぁラスプーチンの劣化版というか。
    コレら観ても「不安ストレス」と人間の思考活動が切り離せぬのが解るです。
    コレは思想であっても盲信すれば代替機能がありますね。同志音楽大好き、とか同志七面鳥とか(笑)
    前に木霊様に「俺の記事を鵜呑みにしないで、自分でも調べて研究してね」みたく言われた事があるんですが、それ木霊様は健全な方ですから、「俺を教祖にしないでくれ」「信者にならないでね」という
    至って健全なアドバイスでした。
    そう誰かに寄ってしまう方が楽ですから。だからカルトとか変な思想が流行るし、そこに身を委ねてテロリストとかになっちまうんでしょうね。

    • アバター 七面鳥 より:

      >宗教が一定に必要

      これですが。
      学生の頃の、宗教学の授業の数少ない覚えてることですが、「生活が厳しい地域の宗教的戒律は厳しくなりがち、例:ユダヤ、イスラム」だそうで。
      絶対者たる神の権威をもって、民衆を厳しく指導しないと部族(≒国)が成り立たない。
      それが故に、「十戒」で「黄金の仔牛を崇める邪教」は全滅させられたわけで。
      これは逆説的に、豊かな農耕を基盤とする多神教国家に、その手の厳しい神様は滅多に居ないことの証左でもありますね。
      多神教(≒自然神)は分かりやすいですよね、人の手ではどうにもならない自然のふるまい(天変地異、気象、人の生き死に)は、神のものだとして畏れ敬う以外にやり過ごし方が無い。だから、祭りをして、供物を供えて、神の機嫌を取る。神とは善悪ではなく、人智を超えた存在であって、人はその許しを得て生きている。
      このあたりが「人は神の子で、神は人のために世界を作った」とし、だから「神は全知全能であって、神の娘たる人は神に従わなければならない」とする新旧聖書世界と根本的に違うところだと考えます(あくまで個人の主観です)。
      そうすると、結局は「唯一の神様」は人の都合で生まれたもので、人がいろんな事に利用するのに都合が良い象徴、「八百万の神様」は自然そのもので、利用も出来るけど、基本的には人の都合などどうでもいい、時に大災害を「ほんの気まぐれ」で起こす怖い存在、という、越えられない壁がある、と。
      ※個人的には、ここで同じ「神」という単語を「GOD」の和訳にあてがってしまったのが間違いの元だと思います。神と仏よりもっと遠いものかも知れないのに。

      なので、「都合のよい神」であれば、共産主義だって認める、それだけの事なんでしょうね。
      まあ、天安門広場に額縁飾ってる時点で「神格化」してますから、「共産主義は宗教を否定する」「中国は宗教の自由はある」の言葉には、別に何の意味も無いのではないでしょうか、なんて思う次第です。