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復元された百済の石塔、元の姿と違う

歴史建造物
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本日は、韓国あるある事件として有名になった話を1つ紹介しておこう。ニュース自体は数年前のものなので、悪しからず。

20年かけ修復「元の姿と違う」百済の石塔、韓国で批判

2019年3月26日 14時54分

韓国で国の予算執行を検査する監査院は、約20年かけた修復工事が今月に完成した百済時代末期(7世紀)の寺院跡、弥勒寺址の「西の石塔」(高さ約14・5メートル)について「原型通りに修復されず、安全性の検討も正しく行われていない」とする報告書を発表した。所管の文化財庁は釈明に追われ、韓国内で「ありえないことだ」と批判が起きている。

朝日新聞より

まあ、韓国ではありがちな話なのだが、復元された建造物が「元の形と違う」と騒ぎになる奴だ。

計画通りかそうでないのか

おもてたんと違う!

これは、見れば一目瞭然だな。

これが、2019年3月にこうなる。

う、うん、綺麗になったんじゃないかな?

「文化財庁、国宝11号弥勒寺寺石塔一貫性なく積み上げた」

入力2019.03.21 午後2時28分 修正2019.03.21 午後5時40分

文化財庁が全北益山の弥勒寺寺塔を保守整備し、事前検討をしっかり経たことなく一貫性なく石を積んだという監査結果が出ました。

その結果、国内で最も古くて最大の石塔である弥勒寺の塔の上・下部の内部形態が当初の原型とは異なり、層別に変わったという指摘が出てきます。

弥勒寺寺石塔補修整備は1998年に始まり、20年にわたる作業の終わりに最近仕上げられ、来月末に竣工式を行います。

事業費で計230億ウォンが投入されました。

NAVERより

うーん、頑張ったんだけどね?

修復前よりはマシか?

そもそも文化財の保護というのは口でいうほど簡単ではない。

韓国・益山の弥勒寺址石塔 20年にわたる補修工事終え完工

2019.04.30 19:09

百済の第30代王・武王(在位600~641)の時代に創建された、西部・全羅北道の益山弥勒寺址石塔(国宝第11号)が、20年にわたる補修工事を終えて荘厳な姿を取り戻した。

聯合ニュースより

この益山の弥勒寺址石塔は、修復工事前にはかなり悲惨な状況になっていた。

実は、百済の時代に建造されてから李氏朝鮮時代には既に廃れて放置されていて、朝鮮併合時代になって「危ないから」という理由で日本の手によって応急処理が行われた。けれど、これがセメントで固めて形状を維持する応急処置的なものだった。しかし、それから風雨に晒されてセメントが劣化してしまった。セメントでの修復は、当時としてはポルトラントセメントが開発(1824年開発で、日本では1875年に製造に成功している)されて、性能の高さが認められた時期であり、当時としては特別おかしな話では無かったようだ。

植民地時代の1915年に日本は石材の一部崩れた部分をコンクリートで応急修理した。石塔はそれから約80年そのまま持ちこたえた。

西側から見るとコンクリートの塊のようだった石塔は、99年に構造が不安定であるとの安全診断結果を受けて文化財委員会が解体・修理を決定し、補修工事が始まった。

聯合ニュースより

どんな感じだったかというと、これだ。

……えーと、うーん。前と後でどちらが良いか?と聞かれるとなかなか答え辛い。

補修前のコンクリートで固めた無惨な方は、しかし、それ以外の部分はオリジナルを残していて、それなりにおもむきはある。

コンクリートの補修が良かったか悪かったかは議論の分かれるところだろう。が、しかし、放置されればそのまま崩壊していたリスクは高かったので、「よく頑張ったね」としか。

朝鮮総督府は予算が少ないなりに文化財の保護にも力を割いたようだ。実は、併合時代の日本人はもっと破壊されて石材が散らばっていたものを、丁寧に拾い集めて残っているものだけで6層まで復元したのだとか。

実は、この石塔は筆者が韓国で一番のお気に入り史跡なのだ。6層までしか残っていないが、本来は9層で高さ20㍍にもなる韓国最大の石塔である。1970年代の留学時代に初めて出かけ時、何もない野っぱらにぽつんと、崩れかかって残っているでっかい姿が異様で、百済文化の“滅びの美”を感じさせる風景に感動した覚えがある。

塔は半分ほどが崩れたまま放置されていたのを、日本統治時代にコンクリートで支えたため辛うじて保存された。ところがそのコンクリート部分が醜くいうえに、風化が進んでいたため復元することになった。それにしても100年前のことになるが、あの時、保存措置がとられていなかったらどうなっていただろうと気になる。当時、日本人たちは周辺に散在していた石塔の残骸を収拾して、やっと6層まで復元しコンクリートで支えたという。

東洋経済日報より

産経新聞ソウル支局長となって有名になった黒田氏の随筆文を引用させて貰ったが、補修前の姿にはそんな意味があったようだ。

補修後は「キレイになっちゃったね」としか。

なお、その近くには別のモデルも建てられている。

うんまあ、こういう形だったという雰囲気は分かるよ。コンクリート製だろうけれど。

原型復元を試みなかった韓国人たち

なお、この石塔だが、復元後に意外なことが問題となった。修復にあたって「原型復元のための具体的な検討を行っていない」ことが分かったのだ。

監査結果によると、文化財庁は2011年に弥勒寺寺石塔補修整備実施設計サービスを進行し、解体当時確認された石を積み重ねる方式の技術的再現可能性や構造的安定性の有無など、原型復元のための具体的な検討を行っていないことが確認された。

弥勒寺の石塔の解体当時、塔の本体に該当する赤心は、形状が一定でない石材で積み上げられており、間の隙間は土で満たされた形でした。

しかし、文化財庁は、既存の赤心部の石材の形状が一定ではなく、品質が低下したという理由で、赤心石の大部分(97.6%)を長方形の形状に加工した新しい石材に交換し、積み重ねることを計画しました。

文化財庁は以後、石塔の2階赤心部まで新たな石材加工作業を進めているが、2016年初めに元の軸石方式と部材を保存するという理由で、当初の設計とは異なり、3階以上の赤心に対しては既存部材を再利用する方式で方法を変更しました。

NAVERより

うーん、そりゃ、別の形になっちゃうわけだよ。

色々書いてあるけれども、要は文化財の修復を下請け業者に丸投げしたことで、構造計算などはやられなかったし、接着剤(無機バインダー)を適切なものを選ばなかったということで、結果的に構造強度が低い疑いがあるシロモノが出来上がっちゃったということらしい。

構造材に使った石材も、以前使われていたものだけではなく、新たに持ち込んだ石材を混ぜて積んだってことみたいだしね。

ただ、不適切かというと、そうとばかりも言えない。観光資源として使うなら万が一にも崩れて貰っては困るので、伝統的なやり方で組み上げることは必ずしも正解とは言えないのだ。

いや、計画通りだから

とまあ、ガッカリな感じに仕上がったのかなーと思っていたのだけれど、過去のニュースを色々調べてみると、「そうでもない」感じだ。

これ、左から1910年頃の写真、解体前の写真、補修整備が終わった後の想像図という風に写真が並んでいる。

これを見る限り、復元後の姿は「予定通りに復元」されたのではないだろうかという風に思う。再現度はかなり高めだ。

なら、まあ良いか。むしろ計画通りなんじゃないかな?もともと、以前の形に復元する予定はなかったってことだし。そして、どうせなら崩れた部分も想像で補えばよかったのに。

心配なのは、構造計算していない安全性だけだね!

あ、今は多分安全だと思うよ、2019年の話で「安全性について点検する」とあったので。

コメント

  1. アバター 匿名 より:

    ふつう遺物や遺跡には、極力手を加えずに、そのままの原型を残す保存的修復が取られるけど、韓国の場合、遺跡や遺物は、再利用もされなければ、保存もされない修復として手を加えられるのが普通で、原型をとどめない。
    それで、勝手な解釈を”追加”して、歴史を歪曲し放題だ。

    • 木霊 木霊 より:

      日本の考え方と韓国の考え方は違いますからねぇ。
      幾つかこんな感じのネタはあるんですが、何というか妄想が混在しておかしな方向に行ってしまうのが常であります。

      歴史は作るものなんだ!という話かもしれませんね。

  2. アバター みみこ より:

    「資料が一切ないものを苦労して復元」する国ですからね。
    面影が残るだけでも、成功例なんじゃ?

  3. アバター 名無ち より:

    倒壊しようが風化しようが過去の日本の修復のせいにできるから。

    • 木霊 木霊 より:

      実際にそういうネタもあるんですよね。
      今度時間が出来たら触れたいと思います。

    • アバター 河太郎 より:

      西欧のどっかの国で、イコン画か何か…聖人の絵を「ガキの落書きレベル」に「復元」した奴がいましたね。
      しかし、このセンスない復元はどうなんでしょね🤣
      「のぼうの城」の忍城を観光用復元🤣を見た事があるんですか、あれより酷い気がします。あと何年、立っていられるかなぁ🤣楽しみだなぁ☺

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