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パラオ、友好の橋に纏わる顛末

橋シリーズ
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本日は忙しいこともあって、以前ちょっと調べたネタ絡みで書かせて頂きたいと思う。データ復旧の一環でもある。

観光立国パラオが目指す循環型社会

2019年03月22日

 日本からわずか5時間で行けるリゾート地、パラオ。パラオ語では、「ベラウ」と呼ばれているその国は、世界から注目されるダイビングスポットや、世界遺産である南ラグーンのロックアイランド群、無毒化した特殊なクラゲなどがいる汽水湖ジェリーフィッシュレイクなどが有名だ。年中温暖な気候から年間を通して観光客も絶えない。2012年は日本人の観光客はピークを迎え、年間約4万人も来島していたが、2015年には中国人がそれを上回り、9万人と最多となっている。

「日系トレンディネット」より|リンク切れ

ちょっと毛色の違うところからの引用記事なのだけれど、パラオという国をご紹介したい。

  • 韓国に橋梁施工の発注というミスを犯した親日国パラオ
  • 施行後19年で橋崩落
  • 日本の鹿島建設が新しい橋を架けて、無事に運用中

パラオってどんな国?

ミクロネシア地域の島々からなる国

ミクロネシア地域という言葉そのものがあまり耳馴染み無い感じだけれども、インドネシア周辺の国というと分かり易いかな。パラオはどっちかというとフィリピンに近い感じなのだけれど、このミクロネシア地域といういう区分に入る。

ただ、パラオがどんな国かを説明するには、どちらかというと国旗を見てもらえれば分かる。

超親日国パラオ

パラオの国旗

日本の国旗と同じデザインじゃねーか!と思った貴方、その通り。パラオは今から約4000年前から人が住んでいたとされているが、16世紀頃からスペインの植民地であり、1899年にはドイツ帝国の植民地になり、不遇な時代を過ごした。そして、1919年のパリ講和会議によって日本の委任統治領になる。

パラオの近代化は日本統治時代以降で、多くの日本人がパラオに移住し、近代化が進められていく。その事がパラオにとって幸福なことだったかどうかは、パラオにしか分からない。だが、学校を作り病院を作り、インフラ整備をし、貨幣経済の移管が進められ、その時代においては日本人はパラオ人と極力差別が無いような扱いを求めていた。

日本統治時代に植民地やそれに準じる地域で、日本人と現地人の差別を出来るだけ無いように扱ったことは、各地でも伝えられていて、パラオ人にとっては多分、それは良いことだったのだと思う。だからこそ、国旗のデザインがこうなった。

レメンゲサウ大統領単独インタビュー:「日本とパラオは兄弟関係、私には日本人の血が流れている」

2018.02.09

野嶋 パラオと日本の友好関係はよく知られています。大統領は、パラオと日本の関係はどのように形容しますか。

レメンゲサウ大統領 パラオと日本との関係は「兄弟」と称してもいいものです。われわれからすれば日本は兄です。パラオの国旗は海の青色の下地に黄色い月で、日本の国旗は白地に赤い太陽。月と太陽が共存しているようなイメージです。パラオと日本の関係には長い歴史があり、昨日今日、急に近づいたわけではなく、太平洋戦争の前も後も、互いにを尊重し、理解に努める先人たちの功績がありました。

nippon.comより

日本がパラオに残したレガシーは?:ウエキ元駐日大使に聞く

2018.04.04

パラオは「日本」だった。正確にいえば、約30年間にわたって委任統治をしていたのだが、日本の文化や習慣が移植された、という意味においては、台湾や朝鮮半島、満州などよりも、パラオにおける日本の「濃度」は群を抜いていた。南洋の島々を統括する南洋庁が置かれ、日本人の南洋進出への夢をパラオは丸ごと引き受ける場所となり、現地人口の数倍の日本人があふれた。

nippon.comより

簡単に言えば、日本人の血が流れている人の多いパラオの人々が、親日になるなんてことは、そう不思議な事では無いのだ。

戦後、忘れられていた関係

そんなパラオではあるが、日本が大東亜戦争に負けた後、その関係は希薄になっていく。

日本統治が終わったのは1945年で、アメリカの信託統治が始まったのが1947年より1981年まで。この頃には独立の動きが始まって、紆余曲折を経て1994年にようやく独立が承認される。

そして、外交は積極的にアメリカ、日本、中華民国との関係を深めている。

台湾の蔡総統、南太平洋3カ国歴訪に出発 関係強化へ

2019/3/21 20:00

台湾の蔡英文総統は21日午後、外交関係のある南太平洋のパラオなど3カ国の訪問へ出発した。中国の圧力を背景に台湾は友好国との外交関係を次々と失っており、直接訪問で関係を強化し、断交を食い止める狙いだ。帰路は米国のハワイを経由する。

日本経済新聞より

特に、台湾はパラオとの関係を大切にしている。

何しろ、パラオは台湾と国交を結び、逆に中華人民共和国:支那とは国交を結んでいない貴重な国である。

パラオの国力はかなり微妙ではあるが、しかし、こうした経緯があるので、極めて親日国ということになっている。

だが、日本はというと、戦後、疲弊した国を建て直し、外交にも汲々としていたこともあって、パラオとは少し距離が出来てしまったようだ。

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韓国に橋の建設を依頼してしまった大失策

恐怖のKBブリッジ

さて、パラオが経済力を高めようという段階において、コロール島とバベルダオブ島(パラオ最大の島)との間に橋を架けようという話が持ち上がった。

この話はもともと太平洋諸島信託統治領政府(アメリカ統治時代のミクロネシア周辺地域を統治する機構)によって計画が進められていた。それまでは渡し船で行き来していたのだけれど、経済の発展に橋をかけるのは不可欠だったと言われている。

そんなわけで、1977年、韓国の建設会社であるSOCIO社によりコロール島とバベルダオブ島を結ぶコンクリート製の橋の建設が始められた。400m程度の長さの橋だったようだ。

このSOCIO社という会社が一体どんな会社だったのかがハッキリしないのだけれど、韓国で1994年に崩落した聖水大橋(1977年着工で1979年完成)にも関わっていたとされているので、技術力はかなり低かった、ということかもしれない。

ともかく、1977年に完成したKBブリッジだが、完成直後から橋の中央部が凹みはじめ、20日もしないうちに1.2mも陥没した。

これが出来上がった当時の様子なのだが、別の写真を見ると中央部がなにか微妙な感じになっている。なんだか当時から怪しかったのかも?

写真に影が付いているだけかも知れないが、ともかく、パラオ政府は流石にこれを放置できないとして何度も補強工事をする。1990年には230万ドル相当の大掛かりな補強工事を実施した。

暗黒の9月事件

しかし、暗黒の9月事件が発生してしまった。1996年9月26日に、轟音と共に突如中央部から橋が真っ二つに折れて崩落したのである。

こうなった。

人的被害は死者2名、4名以上が負傷。また、橋はコロール島からパラオ国際空港へ向かう唯一の道路であったことと、電気、水道、電話などのライフラインも橋を通していたこともあって、パラオの首都機能が麻痺する事態に。

1977年に完成して1996年に崩落なので、19年しか保たなかった計算になる。

橋を作る当時、韓国企業SOCIO社は競争入札に応じた鹿島建設の半額で落札したと言われていて、更に1996年にはSOCIO社が解散して存在しなかったというお寒いお話もある。当時から手抜きが指摘されたという噂もあるらしいけれど、したんだろうね、手抜きは。

パラオ政府はSOCIO社に損害賠償を請求したものの、存在しない会社が賠償に応じるハズも無く、韓国政府も「民間のやったこと」だと無視を決め込んだようである。この辺りのハッキリした話は調べられなかったのだけれど、韓国では良くある話らしいよ。

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日本ーパラオ友好の橋はODAで

その後、2002年に日本のODAを利用して鹿島建設が橋を再建させる。

日本・パラオ友好の橋

吊り橋タイプになっているのがわかるだろうか?コンクリートの橋と比べるべくもないが、立派な橋になったと喜ばれたらしい。工期は1999年11月から2001年12月であるが、相当苦労したということは鹿島建設のサイトで紹介されていた。

工事では,当地が工業の発達してない島国であることから,材料の調達が着工前から問題となった。「生活物資を輸送するコンテナ船が週1回しかなく,軍手やビニールテープなどの生活用品でさえ,手に入れられない場合もある」と,語る柏村所長の言葉からもその苦労がうかがえる。このような状況で,主要な重機は日本から持ち込み,大量に必要な材料は使用する時期を厳密に予測したうえでフィリピンなどから調達している。

また,工事のハイライトとなる鋼製橋桁の中央ブロック取付けでは,「日本から調達した橋の材料を,人件費の安いベトナムで部材として組み立て,中国で完成させた。現地では,取付け作業だけをするようにした」(同所長)と,第三国での製作・調達がコスト削減に貢献する場合があることを指摘する。この工事では,建設地の実情に即した調達と施工法が実践されている。

鹿島建設サイトより

設計対応年数は50年だと言われているが、末永く使って欲しいものである。

ただ、鹿島建設ですらここまで苦労したのである。多分、韓国のSOCIO社も現地で施工するにあたって相当苦労したのだろうと思う。

そういえば、鹿島建設が新たな橋を作るにあたって、同じ場所に橋を作ったのだけれど、土台のコンクリートがあまりに低品質だったので再利用しなかったとか言う話があったな。

残念!

観光で猛攻をかける支那と日本の対応

そんなパラオだが、支那がその魔の手を伸ばしているようで。

中国、パラオに猛烈な揺さぶり…観光狙い撃ち

2019/03/23 08:02

台湾の蔡英文ツァイインウェン総統は22日、外交関係を結ぶパラオでレメンゲサウ大統領と会談した。ひとまず関係強化を確認したものの、パラオには、台湾支持を続けるかどうかで苦悩も見える。中国が、ドル箱の観光産業に猛烈な揺さぶりをかけているためだ。

~~略~~

独立志向の強い民進党の蔡氏が総統に就いた2016年以降、中国はパラオに対し、外交関係の見直しを求め圧力を強めてきた。

なかでも観光産業が狙い撃ちされた。

旅行業者による団体ツアー実施に許可がいる中国で、無許可のパラオ行きツアーは黙認され人気を集めていたところ、中国政府が取り締まり強化に転じた。

中国では、大手検索サービスで「パラオ」と打っても結果が表示されない。政府の意を受けて制限がかけられたとみられる。

読売新聞より|リンク切れ

パラオの大統領はなかなかしっかりしていることを言っているようだが、経済を狙われると厳しいだろうね。

パラオ大統領、中国の圧力に言及「友情は強要するものではない」/台湾

【政治】 2018/11/14 13:26

中華民国(台湾)と外交関係を有する太平洋の島国パラオのトミー・レメンゲサウ大統領は13日、台北市内で記者会見を開いた。中国からの圧力について質問されると、友情は努力によって築かれるものであり、圧力や強要によって得られるものではないと述べ、中国に理解を求める姿勢を示した。

中央通信社より

この様な姿勢がいつまで貫けるか、である。

パラオに対する無償資金協力に関する書簡の交換

平成31年3月8日

1 本8日,東京において,安倍晋三内閣総理大臣及びトミー・E・レメンゲサウ・Jr.パラオ共和国大統領(H.E. Mr. Tommy E. REMENGESAU, Jr., President of the Republic of Palau)の立ち会いの下,我が方山田俊之駐パラオ大使と先方駐日パラオ共和国大使フランシス・マツタロウ閣下(H.E. Mr. Francis MATSUTARO, Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of the Republic of Palau to Japan)との間で,以下2件の無償資金協力(供与額計4億円)に関する書簡の交換が行われました。

外務省のサイトより

日本としても支援していくつもりではあるようだが……、4億円程度では支那に対抗していけるかどうか。内容を読むと、「持続可能」な支援を考えているみたいで評価は出来るんだけどさ。

そもそもパラオは観光に力を入れている国だけれども、日本からパラオへ行くための直行便はないようだ。

日本として支援するためには、そうした面も少し考慮していくと良いんじゃ無いかな、とそんな風に思う。

パラオ向け技術協力プロジェクト討議議事録の署名:環境に配慮した交通システムの構築を支援 | 2022年度 | ニュースリリース | ニュース - JICA

支援は細々とではあるが、続けられているようなんだけどね。

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