非暴力主義者の理屈

報道

この時期になると、この手の記事ばかりが増える。いちいち突っ込むのもばからしいのだけれど、ウクライナの話を取り上げて「非暴力」を説く記事があったので、どんな論理構成なのか気になって取り上げてみる気になった。

結論から言うと時間の無駄であったが。

非暴力抵抗こそが侵略から国民を守る~非武装の精神で戦争の根を断て 想田和弘と語る

2022年08月12日

今年も8月がやってきた。

戦争や平和にまつわる言論や報道が集中する季節だが、戦後77年目の今夏の様相がここ数年と異なるのは、言うまでもなく、ロシアによるウクライナ侵攻が起きたことによる。

「論座」より

そういえば昔、ガルトゥングの平和学の本を読んで、さっぱり理解が出来なかったっけ。

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この記事は「惣郷木霊の四方山話」でお送りしております。

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パヨクの論理

ガルトゥングの平和学

ヨハン・ガルトゥング、立派な方のようだが、彼の理屈は僕には難解に過ぎる。

彼の本から内容を引用するまでもなく、安保法制の時に紹介された記事を読んで「ダメだこの人は」と思ったものである。

「安保法案では平和にはならない」“平和学の父”ガルトゥング博士インタビュー

2015年09月17日

「積極的平和主義」を掲げ、安保法制の採決を急ぐ安倍政権。「積極的平和」の概念を生んだ「平和学の父」ヨハン・ガルトゥング博士が、安倍政権の「平和主義」に物申す!

~~略~~

例えば、日中が抱えている尖閣諸島(中国名釣魚島)の解決は、日中がそれぞれ40%ずつの権益を分けあい、残りの20%を北東アジア共同体のために使うのはどうか。今のままでは0%です。お互いにメリットがあるようにするのが紛争問題解決の鉄則です。

「日刊SPA!」より

尖閣問題について、日本が40%、支那が40%、北東アジア共同体のために20%使えと言うのだから意味がわからない

問題が領土問題であるならば、どこか中間地点で線を引くという解決方法はあるのかもしれないが、この問題は日本の領土を支那が一方的に奪おうとしている話である。日本に「譲れ」というのはさっぱり意味がわからないし、北東アジア共同体のために使えというのも謎だ。

彼の言い分は徹頭徹尾この調子なのだ。

パヨクの多くも、彼のように前提条件を取り違えて議論していることが多い印象である。

非暴力・不服従

こんな話ならば、まだマハトマ・ガンディーの方が理解できる。インド独立の父と言われるガンディーは、「非暴力・不服従」で知られる人物だが、これは無抵抗主義を意味しない

わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。

「Wikipedia」より

ガンディーにとって、非暴力は手段であって目的ではなかった。彼の真の目的は、真理の探究であり、そこから帰結して抑圧されたインドの独立に尽力した。

そして、インドの名誉と伝統を護るために、武器を取って戦うことを望むが、暴力を用いるよりも非暴力であることのほうが問題解決への近道であるという主張であった。どうにも、この考え方が現代において曲解されているように思う。

これに対して、武力による徹底抗戦ではなく、占領を座視して受け入れるのでもなく、非暴力・不服従による抵抗こそが最も有効なのではないか、そう問題提起したのが、映画監督の想田和弘さんだ。

保守界隈ではこの機に乗じた憲法改正論議もかまびすしいが、想田さんはすでに2015年の安保法制成立時、「新しい9条を創るべきだ」と“改憲”の提言をしている。

「日刊SPA!」より

僕自身、武力こそが唯一の解決手段などと主張する積りはない。話し合いで事が済めば、それに越したことはないと思っているのだ。ただ、それは武力を持たないことを意味しない。

とても残念なことに、武力を前提にこちらに襲いかかってくる相手に、初手で話し合いが通用するワケがないのだ。故に、一方的に日本だけが武装解除するのは非暴力・不服従などではない。

――非暴力の考えを突き詰めれば、国家としても軍備を持たない、非武装が理想だという考えになります。あらゆる国がそれを目指せば、結果として地球上から国家間の武力紛争が消える。それが想田さんの理想ということですね。

その通りです。

――「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする憲法9条は、字面だけ見るなら、軍備を否定した非武装条文としか読めませんが、日本政府は、国民の生命や自由が根底から覆される急迫不正の事態には必要最小限度の武力の行使は認められるとし、その範囲内の「実力」ならば「戦力」には当たらないとして自衛隊を合憲の存在としてきました。また、自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行っても、9条が禁じる「交戦権の行使」とは別の観念のもの、としています。しかし憲法学者の間でも自衛隊違憲説は根強くあります。想田さんは、条文解釈においては原理主義的、つまり自衛隊や駐留米軍は違憲の存在だという考えですね。

当然そうです。いわゆる護憲派と呼ばれている人たちの多くは「自衛隊は戦力じゃない。最小限度の実力だから持っていても問題ない」という歴代政府と内閣法制局の解釈を受け入れているわけです。だから、この人たちは、僕からすれば本当の意味での護憲派ではなく、解釈改憲派です。

「日刊SPA!」より

この映画監督がどんな人物か改めて追求する気にすらなれないが、引用部分は荒唐無稽な議論である。

暴力装置を保たない国家は、それは国家ではないのだ。軍備を放棄した国家というのは、実に矛盾した発想なのだと思う。

無抵抗とは全く違う

さて、そろそろ冒頭に引用した話に戻っていきたい。全体を通して読んでみて、この映画監督も無抵抗であれとは主張していないらしい。

「自衛隊は違憲だ」、「軍備を放棄しろ」と言いながら、「無抵抗ではない」とは頓知のような話だな。

――ロシアの侵攻後に、朝日新聞などに非暴力抵抗論を寄せました。「主権国家には自衛権があるが、応戦の果てに暴力の連鎖になれば、国民や国土に大きな犠牲が生じる。交戦せずに国を挙げて徹底的な不服従の抵抗をした方が、倫理的にも高潔で、結果的に民の命も国も守れる可能性が高いのでは」という趣旨ですが、SNSなどですさまじい批判を受けたそうですね。

「日刊SPA!」より

特にこの部分、ロシア軍のウクライナ侵攻後に、「交戦せずに国を挙げて徹底的な不服従の抵抗」とは理念的すぎて意味がわからない。

強調しておきたいのですが、僕はこの問題について話す際、「ロシアによるウクライナへの侵略は人道的にも国際法上も決して許されない」と枕詞のように言っています。そして、主権国家であるウクライナには自衛権があり、ゼレンスキー大統領が自衛戦争を行うと決断したことについて、第三者としてはそれを尊重するという以外の立場は取れない、ということも、大前提です。

しかし、大義ある自衛戦争であっても、武力で徹底抗戦するという選択が本当に国民を守ることになるのか、応戦することが唯一の選択肢なのかは、別の問題として、現実を直視しつつ議論すべきでしょう。というのは、もちろん、日本にとっても今回の事態は他人事ではないからです。僕が論じたいのは、ウクライナの選択というより、日本の選択についてなんです。

「日刊SPA!」より

結局この人、ウクライナ問題からは完全に逃げてしまっている。

ウクライナが、如何にも徹底抗戦以外の努力をしなかったかのような書きっぷりだが、そんな事実は無い。むしろ、大統領自ら世界に発信をして、ウクライナが生き残るための努力を続けていたことは、説明するまでもない事実ではないか。

ところが、彼はその部分を論じずに「僕が論じたいのは、ウクライナの選択というより、日本の選択についてなんです。」などという始末。

思わず彼の正気度を疑いたくなるような話だ。

結局、この人の「無抵抗」とは一体何なのだろう。その結論に至らないまま、何故か脱原発の話に……。は?

廃炉を優先させろ

どうしてそうなったのかはよくわからないが、彼の論理からすると、「合理的判断」らしい。

僕からすれば、例えば中国や北朝鮮を仮想敵国としているのなら、日本海側にこれほどまでの数の原発が立ち並び稼働していること自体、合理的な判断とは思えない。敵国に原発を攻撃されたり掌握されたりしたら、ゲームオーバーですからね。

本当に深刻な脅威があるというのなら、軍備増強や核共有より何よりも、原発を廃炉し取り除く作業こそを優先しなければならない。でもそういう議論は全然起きていないでしょう。議論そのものが冷静さを欠いているうえにちぐはぐで、真面目なものに見えません。

「日刊SPA!」より

うーん、大丈夫か??

どのへんがどう合理的なのかさっぱりわからないが、「敵国に原発を攻撃されたり掌握されたりしたら、ゲームオーバー」という理屈はたしかに通る。だけど、だから攻撃されたり掌握されたりしないようにするというのが大切なのではないか。

彼が言うのは、家の中に「現金を置くのは危険だから銀行に預けよう」という話に似ているが、この話は「家の鍵を掛けなくていい」「扉もいらない」という話には結びつかない。家に不法侵入されたくなければ、やっぱり扉や鍵は必要なのである。

原子力発電所に頼らなくてよいのであればそれに越したことはない。既に廃炉にすることが決定している原子炉の廃炉だって進めるべきだとは思う。だが、廃炉作業1つとっても長い時間が必要だし、そもそも電力が足りていない現状で「廃炉にしよう」というのはどうにも理解ができない。

廃炉作業中は、軍備増強しなくていいのか?「やるべき」は両方だと言うのであればまだ分かるが。

ロシア軍は非戦闘民を殺害しなかったのか

そして、話はウクライナ大統領のゼレンスキー氏の決断に及ぶ。

侵攻直後、ウクライナでは国家が市民に戦闘参加を呼びかけ、希望者に銃を配りました。正規軍なら指揮命令系統もはっきりしていますが、義勇兵のような非正規の戦闘員は、無辜の市民との区別がつけづらい。戦闘員と非戦闘員を明確に分けて扱うことが戦時国際法(国際人道法)の原則のはずですが、ゼレンスキー大統領はそれを自らあいまいにして国民を戦争に動員した面があります。国際法では、侵略した国も侵略された国も紛争当事国となり、交戦法規の遵守が課される。

「日刊SPA!」より

これも事実は逆さまである。

ロシア軍の侵攻をうけたウクライナにとって、十分な兵力の確保というものは深刻な課題であった。国民を戦争に動員せざるをえないほどの数がウクライナの国境を超えて侵攻してきたのである。徹底抗戦を呼びかけなかったら、「降伏しろ」とでも言うのだろうか。

為す術もなくウクライナ軍がすり潰されて、多くの町や村があっという間に蹂躙され、実際に虐殺が行われた。

ロシア兵の残虐さを身をもって知っているウクライナ人にとって、徹底抗戦か死か、という究極の2択だったことは、既に報道されているはずなのに、まだこんな事を言うのか。

国際法が有効なのは文明国だけだ。そして、ロシアはそうではないことは歴史が証明しているではないか。

徹底抗戦とは具体的には何か

で、漸く「非暴力・徹底抗戦」の話が出てくる。

――あらためて「非暴力抵抗」とは具体的に何をすることなのか、説明していただけますか。

武力や物理的な暴力を使わずに、それ以外の政治的、経済的、社会的なあらゆる手段、具体的にはストライキやボイコット、サボタージュなどを駆使して、侵略者や独裁政権と戦うことです。

マハトマ・ガンジーは「非暴力は、悪に対する真の闘争をすべて断念することではない。それどころか、悪に対する、より積極的な真の闘争である」と述べています。僕は、非暴力不服従こそ、倫理的に高潔というだけでなく、実効的な策だと思っています。

「日刊SPA!」より

なにか凄いことを言い始めたぞ!

プーチンだって、一人では戦争を起こせない。軍に攻撃を命じたとしても誰も従わなければ、ウクライナへの侵攻はできない。命令を実行しない反乱分子を処罰しようにも、彼らを検挙する人たち、裁く人たちが実行しなければ、どうしようもない。誰も協力しなかったら権力者は権力者たりえない。だから民衆や官僚が権力者への協力をやめさえすれば、権力の源泉は崩壊し、権力者は丸裸になります。

「日刊SPA!」より

何人のウクライナ人が国を捨てて外国への移住を決意したと思っているのか。それが「サボタージュ」に当たらないとしたら、一体どうすれば良かったというのか。

ウクライナ国内に留まれば、ロシア軍に蹂躙され、食料は枯渇し、暮らしもままならない状態で命を諦めるより他に道がなくなるという現実があって、「ストライキ」「ボイコット」「サボタージュ」だと?

そもそも、この話の前提はロシア軍がプーチンの命令に従わないようにならないと成り立たないし、そのためにロシア政府は徹底的な情報統制を行っている。その情報統制に穴があるのは事実だが、そこを食い破ってロシア国内に反戦ムードを醸成させるには時間が必要である。その間に無抵抗なウクライナ人は命を落としはしないのだろうか。

犠牲を生んでも無抵抗を穿け

どうやら、彼にとって犠牲は織り込み済みのようだ。

――しかし、他国から侵略された際に徹底抗戦するか、占領を受けいれるか、どちらの場合に犠牲が少なくて済むかは、算数のような正解はないのではないでしょうか。ウクライナは国際的な支持や支援を受け得るとしても、チェチェンやシリアの人たちは、無抵抗にもかかわらず一方的に虐殺された事例とも言え、その犠牲者は決して少なくないものだったはずです。

でも、チェチェンもシリアの反アサド勢力も、途中から非暴力ではなくなったでしょう。非暴力抵抗は、成功させるためには、いかに厳しい局面になっても、暴力に切り替えることは慎まなければならない。非暴力にとどまらなければならないんです。暴力を使うことは、権力者と同じ土俵に乗って、自らを不利にする行為だからです。実際、圧倒的な軍事力を持つ相手に対して暴力で立ち向かっても、勝ち目がないですよ。合理的な選択肢とはいえないんです。

それに、僕は人間というものは、非暴力の人間を一方的に殺し続けることは、かなり難しい生き物だと思っています。たとえ政治的に洗脳されたとしても、人間としての善性を完全に捨て去ることができるのか。いくら「殺せ」という残虐な命令を上官から受けても、いずれ耐え切れず離反する者が少なくないんじゃないか。暴力をいっさい使わないという相手には、暴力を使いにくくなる。僕はそう思います。

「日刊SPA!」より

抵抗せずに死ねば、そのうち相手も諦めるって?

いや、そりゃそういう可能性もあるんだろうけれど、徹底的に蹂躙された後に一体何が残るのか?命は大切だけど、ウクライナ人であることの誇りは消されてしまっても良いと?

理解できない。

非暴力闘争を効果的に行うためには、平時から綿密に計画を立て、コンセンサスを作り上げ、訓練しておくことが必要だとも主張しており、その姿は、冷徹な戦略・戦術家です。

「日刊SPA!」より

そして、効果的に非暴力闘争を行うために、平時からの綿密な計画やコンセンサスが必要で、訓練すべきだと言っているのだけれど……、そんな時間がどこにあったのだろう。

こう言うと必ず「お前はブチャでの虐殺を見ても非暴力を薦めるのか」と反論を受けるのですが、ウクライナは、国家としては武力による抵抗を選んでいます。非暴力だから虐殺が起きたわけではなく、武装抵抗の帰結として虐殺事件が起きてしまっているわけです。

「日刊SPA!」より

ブチャの虐殺が始まったのは、後の調査から2022年2月27日頃が最初ではないかとされている。3月31日にブチャが開放されるまでの1ヶ月間、ロシア軍によるブチャ占拠は続いていた。

ロシア軍によるウクライナ侵攻は2022年2月24日からなので、3日後にはブチャ侵攻が開始されている。この時点で「非暴力を選べ」というのはあまりに無理があるのではないだろうか。

最初から戦争を放棄して無血開城しろと同義ではないか。

最初から無抵抗

そして、彼はブチャの例をあげてこう結論づける。

例えば、ウクライナについても、想像してみてほしいんです。

もしゼレンスキー大統領が最初から「武器を取れ」と国民を鼓舞する代わりに「国家を挙げて非暴力で抵抗しましょう」と呼びかけたとします。逃げたい人は国外に逃がし、無血開城する。当然ロシア軍はキーウ(キエフ)に進軍し、大統領府や国会を占領します。ゼレンンスキー大統領は失脚し、ウクライナはロシアに併合されるか、傀儡政権ができるでしょう。でも、武力による応戦がない以上、ロシア軍の発砲は最小限に抑えられ、街も破壊されることはない。

そして、占領者は、すでに整備されているその国の統治機構を最大限利用しようとするでしょう。GHQも日本の天皇制や官僚機構や警察組織を活用して占領統治をしました。一からすべて構築するのは膨大なコストがかかりますから。

でも、占領者であるプーチンが命令をしても、誰も協力せず、サボタージュしたらどうなるでしょう。「反乱分子」を逮捕しようとしても、ウクライナの警察や検察は動かず、裁判官もボイコットするのです。そして、こうした抵抗を続けるウクライナ国民を、国際社会は支援し続ける。ロシアはさらに孤立する。占領のコストがどんどん上昇していく――。こういう状況が続けば、割に合わなくなったロシアが政策の転換をせざるを得なくなる。そういう可能性が、僕は実際にあると思うんです。

「日刊SPA!」より

どうやら、最初から無血開城しろという主張だったようだ。

いやー、ちょっとそれはどうなのよ。実際に、ロシア軍に抵抗せずに捕まり、連行されたウクライナ人は何十万人という規模に登っているんだけど、無抵抗だった人々が幸せに暮らしているという話は聞かないぞ。

悲惨な目にあったという実例なら、日本人はよく知っているよ。シベリア抑留だ。

――ガンジーが唱えた非暴力抵抗は色々な意味で誤解されていると思いますが、シャープも、何度もノーベル平和賞候補になった有名人にもかかわらず日本での知名度は低いですね。想田さんの持論が誤解を受けているのもそれが一因かもしれません。ただ、一国内での体制に対する抵抗運動で非暴力はあり得ても、現に軍や武装組織を持つ主権国家が侵略された場合に戦わずにいったん占領を受け入れるという政策判断は、現実的にはあり得ないでしょう。圧倒的な戦力差がある場合を除いて。

自分が絶対的な少数派であることは分かっています。まあ、これは僕なりに紆余曲折を経てたどり着いた信念のようなもので、僕自身の生き方や人間観や世界観に深く関わっている結論です。自分自身で同じような結論に至って共感してくれる人はいても、僕が自説を話すことで説得される人はほとんどいないでしょう。

語るだけ藪蛇というか、笑われて馬鹿にされるだけでなく、「お花畑」「青い」「理想論者」だの「自分の考えに酔っている」だの、もうありとあらゆる罵詈雑言が飛んできました(笑)。

それでもやっぱりこうして話すのは、どんなに小さくとも、非暴力の種子を守っておきたい、消してはいけない、という思いがあるからなんです。

「日刊SPA!」より

流石にインタビュアーも「ちょっと無理なんじゃないの」とツッコミを入れているのだけれど、「僕の信念だから」と、逃げている。

もう、どうしようもないな。現実世界において政治家たちは常に最善の選択を迫られている。ゼレンスキー氏だって、そういう立場に立って「徹底抗戦」を呼びかける判断をしたのだ。

その結果、多くのウクライナ人の犠牲があったとしても、ウクライナという国家は存続するのだ。大統領の判断としては立派なものだと思うよ。

真っ先に逃亡すれば、その先にある未来はアフガニスタンと同じである。

アフガニスタンは駐留米軍が撤退してしまったことで、政府軍は壊滅。タリバーン政権が誕生し、今なおアフガニスタンで暮らしているアフガニスタン人たちの人権は蹂躙されている。社会基盤は崩壊し、アフガニスタン人のアイデンティティーは失われつつあるのだ。

それでも命があれば、と、無責任に言えるのかどうか?パヨクの方々には問い詰めたい。もちろん、ウクライナもアフガニスタンも彼らの選択の結果、今があり、その選択を非難する資格は部外者にはない。

非暴力不服従の研究をするのは歓迎するが、それを彼らに強要してはならない。何より、日本政府にそれを目指せと迫るのは以ての外である。何故なら、非暴力・不服従は、そもそも国家に適用されるべき話ではないのだから。そこから間違えているんじゃないかなぁ。

お盆になるとこんな記事ばっかりである。だから「平和ボケ」だと言われるんだよ。

コメント

  1. 憲法9条は古いコートで
    冷戦時代は解れを直しながら使った。
    愛着があるのは解るし、捨てるのは勿体ないかもしれないが、憲法といっても所詮道具の一つに過ぎない。
    何の為に有る道具かを考えない主張は
    彼等が忌み嫌う旧軍の精神論と何ら変わらないのでは。

    • 法律は憲法まで含めて時代によって変えられていくのが正しいあり方打音もいます。
      憲法がコロコロ変わってもらっても困るわけですが、70年以上もノーメンテというのも笑えない冗談です。
      科学技術が発達して前提条件が大きく変わってきているのですから、憲法だって形を変えるべきであります。

      パヨクは意外と上意下達で精神論が好きなのでしょう。

      • >パヨクは意外と上意下達で精神論が好きなのでしょう。

        なにしろ「指導者」がいて人民を導くのですから、上意下達にしかなりません。「どのような意見を述べても良い」の後に、ただし「党の綱領に反しないならば」が付きます。党、指導者を称賛するのは「自由」ですが、反対してはいけないんです。

        プロレタリアート独裁ですね。結局「指導者」になった者が好き勝手をするようになります・・・神でも仏でもない「人」ですから。

      • ああ、そうでした。
        指導者が絶対でしたね…。
        好きとか嫌いじゃなくて、選択肢が無い感じでした。

  2. 「汝、平和を望むならば戦の備えをせよ」(孫子、他、多数)

    非暴力不服従で敵に攻撃を諦めさせる方法は?
    1.不屈の精神が敵の精神をくじく
      、、、、まあ、オカルトの世界ですよね。意外と広く普及してますが、、、
    2.圧倒的な防御力
     、、、、マンガ・アニメでたまにお目にかかりますか?バリア?  
        あ、武器なし武術ならありるかな? 地方巡業の余興などで、それなりに鍛えた力士・プロレスラーが無抵抗で一般人に殴り蹴りさせる、でもダメージほぼゼロ。。。。

     ですがこれは「武器・兵器を使わない」ことが大前提

    残念ながら歴史上、攻撃兵器を上回る受動防御兵器は、私の知る限り全て短期間しか存在しえず、攻撃力>>防御力 なのが現実です。
     例はメンドーなので現代に絞れば
     a.モンロー/ノイマン効果を利用した弾薬
    b.数万度以上の高温を出せるレーザー兵器・核兵器
    に耐えうる物質は人類の手の届く範囲には原理的には存在せしません。(ニュートロニウム類、数億トン/cm3、なら原理的にも耐えられますが人類に扱えるシロモノではない)

    すなわち、現代において、攻撃を伴わない防御対抗手段は「迎撃」のみ。ですが迎撃ミサイルは攻撃にも使えますし、シロート目には攻撃兵器と区別つかないですよね?

    結局冒頭の
     「汝、平和を望むならば戦の備えをせよ」(孫子、他、多数)
    は、現代にも通じる、歴史的な格言であり、しかもこれ以外の現実的な方策は存在しません。

    • 結局のところ、備えるしかないんですよね。
      備え無き者が馬鹿を見るのは世の常であります。
      バリアとか開発できればまた違うんでしょうけれど、基礎理論の構築すらままならない状況ですから難しいですね。

  3. 「なぜ、中国や韓国、ロシアに9条の条文を憲法に入れるように働きかけないのか?」非暴力とか話し合いで解決をとか騙る連中で、この問いに答えられた人を一人も見たことがない時点で程度が知れているというものですね……

    • 然り。
      まさにその通りでしょう。

  4. 非暴力。根底が「人間を殺すのは人間だけ」という傲慢極まりない思い込みの前提の上に立ってるモノでしか無いんですよね。国家がどうとか以前に、野生動物として失格なんですけども…ちょっとは都会から出て、人を怖がらなくなった野生動物の怖さなんかも実感してきて欲しいところですね。最近は海豚なんかに襲われる事例も増えてきてるようですし、テキトーに海水浴にでも行ってくれれば。

    • 日本国内では、野生動物被害が結構出ています。
      北海道のヒグマなんかは、冗談みたいな大きさの熊が人を襲ったなんて話も。

      非暴力不服従な方は野生動物に対してもそんな寝言を言えるのでしょうか?「それ、サバンナでも同じこといえんの?」と言うやつですね。

  5. この人、この本でもこんなイカレタことを言っているのですね。
    「ガルトゥング平和学の基礎」

    「ガルトゥング独裁国家への利益誘導の基礎」
    と名前を変えた方が良さそうですな。

    • 辛辣!
      引用部分は本ではなくwebに公開されたインタビュー記事なのですが、本でも似たような趣旨のことを言っていますね。困った人ですが、これで評価が高いのですから、一部には根強い人気があるのかもしれません。