【オマエは何を言っているんだ】駐日韓国大使、日韓の関係正常化を求める

大韓民国

今、極めて正常じゃないか日韓関係は。

駐日韓国大使「二・八独立宣言の精神継承、韓日関係正常化を」

2022.02.08 15:34

1919年に東京の朝鮮人留学生が日本による植民地支配に抵抗して発表した「二・八独立宣言」から103年を迎えた8日、韓国の姜昌一(カン・チャンイル)駐日大使は「韓日関係は大変厳しい」との認識を示しながら、「私たちが力を尽くして韓日関係を正常化し、友好的にすることが、二・八独立宣言を継承する道でもある」と呼び掛けた。在日本韓国YMCAが主催した記念式典にビデオメッセージを寄せた。

「聯合ニュース」より

タイトルからして突っ込みどころ満載なのだが、韓国は大丈夫なのだろうか?こんな大使で。

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この記事は「惣郷木霊の四方山話」でお送りしております。

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韓国歴史観と断交への道

2.8独立宣言って何

まず、このニュースには色々な情報が欠けているので、「2.8独立宣言」なる話から少し補足していきたい。

記事冒頭に書かれた「1919年に東京の朝鮮人留学生が日本による植民地支配に抵抗して発表した「二・八独立宣言」」というものが、そもそも日本人に馴染みのないもので、何故、駐日韓国大使がそんな話に言及するのかという点が説明不足である。

年代を見てピンとくる方はいると思うけれども、1910年8月29日に行われた日本の大失策、日韓併合がそもそもの失敗の始まりであった。

この時期、朝鮮半島は日本、ロシア、支那の3カ国からの影響を大きく受けていた。

折しも日本が大陸に進出しようという時期で、日清戦争(明治27年:1894年7月~明治28年:1895年4月)と日露戦争(明治37年:1904年2月~明治38年:1905年9月)を経て勢力拡大時期にあった。

一方、日本に負けた清国は辛亥革命(1911年~1912年)を切っ掛けにして滅亡(1912年)し、孫文を旗頭とする中華民国軍政府が成立を宣言した時代だった。

ロシア帝国は、当時相当揺れていて、1905年のロシア第一革命、1917年のロシア革命(二月革命、十月革命)によって、ロシアの政治体制は劇的に変化した。

ロシアと支那の政治体制に大きな影響を与えたのはコミンテルンだったが、その影響力は朝鮮半島にも及んでいた。当時の朝鮮半島を統治していたのは棚ぼたで独立を果たした李氏朝鮮で、下関条約(1895年)の後、あろう事かロシアに近づいて第26代国王高宗の王妃だった閔妃が暗殺されてしまう(乙未事変:1895年10月)。しかしその後発生した日露戦争に日本が勝利したことで、李氏朝鮮は宗主国を日本に乗り換える決意をした(1906年からは日本の保護国となっていた)。それが、日韓併合の正体だと言える。

当然、日韓併合当時、その併合に反対する朝鮮人は少なくなかった。その影響が、2.8宣言(2.8独立宣言)であり、3.1独立運動と呼ばれる反日暴動に繋がっていくのである。

アメリカ合衆国第28代大統領、トーマス・ウッドロウ・ウィルソン

さて、少し話は逸れるのだが、日本では余り馴染みのないウッドロウ・ウィルソンについて少し言及しておきたい。

民主党出身の大統領で、第28代(1913年3月4日~1921年3月4日)大統領を務めた人物だが、第一次世界大戦(1914年7月28日~1918年11月11日)への参戦を決断した人物でもある。第二次世界大戦に比べてイマイチ知名度の足りない第一次世界大戦だが、ヨーロッパ全土を戦火に巻き込む史上最大の戦争の一つである。そして、当初、アメリカはここに参戦してはいなかった。

アメリカが参戦したのは1917年4月6日のドイツへの宣戦布告を切っ掛けにしての事だが、その前年まではアメリカは参戦する気はさらさら無かった。1916年のアメリカ大統領選挙では、ウイルソンは中立を訴えて選挙戦に出ていたのである。ただし、翌年、ドイツとの断交を切っ掛けにアメリカ世論は参戦に傾き、ウイルソンも参戦を決断するに至る。なお、この時期には日本は参戦を決断していた。

ともあれ、ウイルソンは、「戦争を終わらせるための戦争」と銘打って、十四箇条の平和原則を発表する。

内容としては民主党らしく、割とお花畑展開ではあるのだが、これが後のヴェルサイユ条約(1919年6月28日)の原則となっている。そして、その中に含まれている「民族自決(第5条)」が後に尾を引くのである。

ただ、民族自決に関しては、ロシア革命中にレーニンによる平和に関する布告にも含まれているので、オリジナルというわけではない。「無賠償・無併合・民族自決」がソビエト政権の提案であったが、ウイルソンの十四箇条の平和原則では、制限的な民族自決を求めている。

アメリカは、同じ連合国で植民地大国であった英・仏などに配慮し、「関係住民(=属領・植民地住民)の利害が、法的権利を受けようとしている政府(=支配国・本国政府)の正当な請求と同等の重要性を有する」とかなり限定的な規定としたのである。その結果、敵対する同盟国の領土に限定される適用という扱いになってしまった。

とはいえ、ソ連に続いてアメリカも民族自決を支持したという理解が広まった結果、アフリカの大部分やアジアの植民地・半植民地地域では、この規定を曲解して本国の政府に対して、より高度の自治や独立を要求する運動が盛んになり、武装蜂起など過激な手段に訴える組織が続出した。

まさに「アラブの春」状態である。

何故か東京のYMCA会館で宣言の採択

さて、そんな訳で、十四箇条の平和原則などの影響を受けて冒頭に説明しようとした2.8宣言が出されるに至るのであるが、どんな中身だったのだろう。

2・8独立宣言記念資料室

一応、リンクを貼っておくのだが、この2.8宣言は何故か東京のYMCA会館で行われた。

え?YMCAは聞いたことある?

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キリスト教青年会(YMCA)は、イギリスのロンドンで1844年6月6日に立ち上げられた団体で、キリスト者に限らず青年層に対する啓蒙および生活改善事業のための奉仕組織として創立されている。東京YMCAは明治13年(1880年)5月8日に設立されていて、日本各地にこの組織は作られている。それに関連して、在日本韓国YMCAという組織が1906年に創立されている。

在日コリアンの精神的支柱とも言うべき2・8独立運動は、祖国の独立を宣言するだけにとどまらず、国際的な連携の下、3・1独立運動の母体となり、大韓民国上海臨時政府の樹立に大きく寄与し、それ以降の社会運動、国内外の民族独立運動へと引き継がれていきました。また2・8独立宣言で逮捕された学生達の救援のため日本人弁護士達が熱心に尽力するなど、独立運動を理解し協力しようとした日本人知識人達が存在し、困難な時代の中でも、真の日韓共生の流れがあったということも歴史の教訓として覚えたいと思います。

「在日本韓国YMCAのサイト」より

東京のYMCA会館と書いたが、実はその宣言が出される舞台となったのは、東京にある朝鮮基督教青年会(在日本韓国YMCA)だったのである。

つまり、2.8宣言が出された(1919年2月8日)背景には、日本において活動家として活躍していた在日朝鮮人の働きがあって、宗教的な影響も強かったことが示唆される。

なお、この宣言は朝鮮基督教青年会会館に数百名の朝鮮人留学生が集って出され、宣言署名者たちはその場で逮捕されている。

荒唐無稽な内容

なかなか達筆な漢字、ハングル混じり文となっているが、不思議な事にその内容について殆ど言及されてはいないようだ。折角なので、日本語訳文を引用しておこう。

http://www.ayc0208.org/2_8/doc/28_JPN.pdf

中身はかなり荒唐無稽である。

朝鮮青年独立団は我が二千万の民族を代表し、正義と自由の勝利を得た世界万国の前に我が独立を期成せんことを宣言する。わが民族は四千三百年の長い歴史を有し、世界最古の民族の一つである。

「独立宣言書」より

冒頭部分だが、朝鮮半島の人口は1920年の国勢調査の結果によれば1726万人程度であったとされているので、まず人数のサバを読んでいる。朝鮮総督府の設置(1910年)の前年である1909年に日本によって整備された民籍法が施行された後に、戸籍簿が作成(1922年)されるが、それ以前にも支那伝来の方式を使って一応戸籍制度は維持してはいた。ただ、古い戸籍は貴族にあたる両班が編纂したもので、人の扱いを受けていなかった人民を中心に漏れの多いものだったようだ。

つまり、朝鮮半島の民族の数を当時の朝鮮人留学生が知るよしもないわけで、冒頭からトップギアである。

次の独立宣言は勝手にすれば良いが、続く文脈「わが民族は四千三百年の長い歴史」って、神話の時代の壇君朝鮮(紀元前2333年~紀元前1112年)をカウントしているらしい。創作説話から引用するのは盛りすぎである。

何しろ、朝鮮半島で出土した櫛目文土器が使われた時代は紀元前8000年から紀元前1500年、その後の無文土器時代(紀元前1500年~紀元前300年)が続き、支那の歴史書からその存在が確認出来る箕子朝鮮(紀元前12世紀~紀元前194年)に至るのだが、箕子朝鮮は支那から朝鮮に移住した民族によって支配されていた事が確認されている(注:韓国歴史学会の理解では箕子朝鮮は実在しなかったことになっている)。

そんな訳で、「世界最古の民族の一つ」というのは、韓国歴史学会史観によるものであって、極めてプロパガンダ要素の強い主張でもある。この時代には朝鮮半島に散見されたらしいんだけどね。

この時代からファンタジー歴史を信奉していたらしいね。

時には中国の正朔を奉じたことはあったが、これは両国皇室の形式的な外交関係に過ぎなかった。朝鮮は常にわが民族の朝鮮であり、いまだかつて一度として統一国家であることを失い、異民族の実質的支配を受けたことはなかった。

「独立宣言書」より

次の文節はもうアングリ。

朝鮮半島を統一したのは李氏朝鮮(1392年8月~1897年10月)が初であり、高麗やら新羅、高句麗、百済、伽耶、女真など、様々な国家があった事は無視ですか、そうですか。

日本は朝鮮が日本と唇歯の関係にあることを自覚していると称して、1895年日清戦争の結果率先して韓国の独立を承認した。

~~略~~

当時ロシアの勢力が南下し東洋の平和と韓国の安寧を脅かしたので、日本は韓国と攻守同盟を結び、日露戦争を始めたが、東洋の平和と韓国の独立はこの同盟の主旨であった。

「独立宣言書」より

興味深い事に、この時代に「韓国」という単語が登場しているのだが、これは大韓帝国のことを意味しているようだ。ただ、日本は大韓帝国と攻守同盟(軍事同盟のこと)を結んだ歴史的事実は無い。

ここから日本への恨み節が書き連ねられるのだが、荒唐無稽すぎて突っ込みが追いつかないので割愛する。興味のある方は読んでみて欲しいが、頭が痛くなること請け合いである。

終盤に、日韓併合の理由(ロシアの南下や清国による冊封)がソ連建国や中華民国建国によって無くなったと言及する部分があり、これ以上日韓併合続ける事は半万年の朝鮮民族を侮辱することだとして、だから独立を認めるべきだと結んでいる。

3.1独立運動へ

呆れた主張ではあるが、この主張をそのまま丸呑みしたのが、朝鮮半島に蔓延っていた基督教、仏教、天道教(東学が分裂して出来た朝鮮半島固有の宗教組織)の各指導者で、同年の3月1日に京城(現ソウル)にて独立宣言を読み上げるに至る。

この計画、大韓民国初代皇帝の高宗の葬儀に合わせて行動計画を定めたという事になっているが、高宗が亡くなったのは1919年1月21日であり、同年3月3日に国葬が執り行われたのだが、3.1独立運動はこれにあわせて宣言されたらしい。

吾らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である事を宣言する。これを以て世界万邦に告げ人類平等の大義を克明にし、これを以て子孫万代に告げ民族自存の正当な権利を永久に所有せしむるとする。

「Wikipedia「三一運動」」より

この独立運動、主催者側がかなりの強硬な姿勢であったことが伝えられており、主催者側の放火や暗殺の脅迫を行っていたとされている。蜂起の手法はコミンテルンの得意とするやり方であり、その後、臨時政府が設立される時にはその影響が色濃く出た。

まあ、3.1独立運動やその前の2.8宣言が何れもキリスト教関係者によるものだったことは、余り指摘されないものの、朝鮮半島のキリスト教は他に見られない攻撃的な側面を持っていて、他国のそれとはかなり毛色が違うことは言及しておきたい。ちなみに、日本の初代首相であった伊藤博文を暗殺した安重根もカトリック系の洗礼を受けたことが知られている。

正常化?既に正常じゃないか。

というわけで、随分と回り道をしたが、2.8宣言は即ち反日宣言に他ならない。そして、歴史を歪曲した宣言で、内容は荒唐無稽だということは分かって頂けたと思う。

だから、その宣言の精神を継承した上で、「日韓関係の正常化」という文脈で話をされると、冷え込んでいるといわれている日韓関係の現状こそが2.8宣言の精神の体現という事になってしまうのではないかとそんな風に感じるのだ。

つまり、姜昌一氏の言う「日韓関係を正常化し、友好的にすること」とは既に為されている。

記事には「在日本韓国YMCAが主催した記念式典にビデオメッセージを寄せた」とあるが、2.8宣言を行った団体こそが在日本韓国YMCAなのだから、寧ろ反日活動を活発化させろという暗号にすら聞こえる。

在日本大韓民国民団(民団)の呂健二(ヨ・ゴニ)団長は鄭夢周(チョン・モンジュ)副団長が代読したあいさつで、韓日関係が迷路にはまり込んでいる中、「在日韓国人は韓国と日本の懸け橋の役割を果たし、韓日の新たな時代を背負う次の世代を育てていく」と表明した。

「聯合ニュース”駐日韓国大使「二・八独立宣言の精神継承、韓日関係正常化を」”」より

よって、素晴らしい成果を見せている在日本韓国YMCAを激励した姜昌一氏は「いいよいいよ、この調子だ」ということが言いたいのだろう。

そうで無ければ意味が通らない。

今の日韓関係を構築したのはムン君を始めとする反日派の方々である。まあ、韓国の皆さんは憲法の精神に則って反日でなければならないわけだが、その文脈で「日韓友好」といわれても困る。

宣言から103年経過した今、さらなる緊張を高めよというのが姜昌一氏の主張に違いないのである。彼らのいう日韓友好とは、「用日(日本を便利に利用する事)」に他ならない。そうなるように頑張れというのが、姜昌一氏の発言の趣旨であり、参加者へのスパイ活動の推奨にすら思えるあたりがなかなか味わい深い。

追記

この件に直接関係は無いが、ムン君も参戦してきたな。

文氏、首相に対話呼び掛け 佐渡金山推薦は「憂慮」 任期末控え書面会見

2022/2/10 11:16

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は10日までに、共同通信など海外主要通信社との書面インタビューに応じ「日本の首相とのコミュニケーション(の窓)は常に開かれている」と強調、岸田文雄首相に対話を呼び掛けた。日本側が「佐渡島の金山」(新潟)の世界文化遺産登録を推進していることには「憂慮」を表明した。文氏が佐渡金山推薦を直接批判したのは初めて。

「産経新聞」より

いやいや、何を言っているんだオマエは。

何というか、佐渡金山の件で文句を付けながら「対話しようぜ」って、北朝鮮と同じじゃないか。構って欲しいからミサイル打つみたいな。

コメント

  1. 文在寅大統領の書簡インタビューに対する日本政府の返答がロイター電から出ています;

    ≪日韓首脳会談の予定ない=韓国大統領の対話呼びかけで官房長官≫(2/10)
    jp.reuters.com/article/japan-south-korea-idJPKBN2KF0UP

    • いやー、なかなか露骨ですが、岸田氏も韓国に対してはちょっと厳しい感じですね。
      とはいえ、新しい記事にも書きましたが、外務大臣の林氏はちょっと心許ない対応です。
      もっとガツンと言って欲しかった。アメリカの手前、上手いこと調整したつもりだったのでしょう。でも、あれは悪手だと思うのですよね。