杉原千畝と樋口季一郎、命のビザ発給と語られない事情

報道

NHKは、杉原千畝が大好きで喜んで記事にしている。

「命のビザ」発給 杉原千畝の名前を冠した広場 エルサレムに

2021年10月12日 8時26分

第2次世界大戦中に多くのユダヤ人を救った、いわゆる「命のビザ」を発給した日本の外交官、杉原千畝の功績をたたえるため、名前を冠した広場が中東のエルサレムに作られ、記念の式典が開かれました。

「NHKニュース」より

記事では中東のエルサレムで名前を冠した広場が作られたとして、記念式典が開かれたことが伝えられている。

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この記事は「惣郷木霊の四方山話」でお送りしております。

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知られざる戦時中の偉人

杉原千畝の功績

改めて説明するまでも無いかも知れないが、大東亜戦争中にリトアニアの在カウナス日本国領事館に外交官として赴任していた杉原千畝は、ドイツからの圧力にも屈せずに戦火を逃れてきたユダヤ系難民に大量のビザ(通過査証)を発給した。

余り知られていないことではあるが、杉原千畝は父の意に反して早稲田大学に入学した後、仕送りを受けられずにアルバイトを掛け持ちして学費を稼いでいたようだが、米騒動などの影響でアルバイトが出来なくなり資金難に陥る。これを打破する為に、外務省留学生試験を受けて外務省の官費留学生となる。

実は、杉原千畝は軍人出身の外交官で、留学中に陸軍に入営して最終階級は陸軍少尉となっている。しかし、日本の軍国主義に対しては批判的な意見を持っていたようだ。だから軍部に利用されることを嫌って一度は外交官の職を離れるものの、帰国して再び外務省に入ってカウナス(現リトアニアの都市でこの時代はソ連に併合される前であった)に赴任するに至る。

そして、カウナスの地でドイツ軍侵攻に伴い隣国ポーランドから迫害を逃れて流入してきた大量のユダヤ人に対し、日本の外務省から査証発給を避けるよう訓令を受けていたにもかかわらず、ユダヤ人に対して日本通過を可能とした査証及び渡航証明書を発給した。

外務省は日本に大量に難民が押し掛ける事態になって、杉原千畝に対してカウナス外交官の任を解き、ベルリンへの異動命令を出したのだが、何千人もの人々にビザが発行されてしまった後の話であった。

正式な手続きを経て発給したビザを無効に出来るか

外務省の命令を無視してビザを発給した、という事であれば、一外交官の不始末として処分され、そのビザは無効にされるというのが真っ当な流れであろうと思う。しかし、その時、そうはならなかった。

難民総数はハッキリとは分からないが、一説によれば約4,500人ほどいたようで、うちポーランド系は2,000人あまりだったようだ。

リトアニアから国外脱出を果たしたユダヤ人達は、ウラジオストックに到着した。ウラジオストックの総領事館には押しよせる大量難民に対して苦慮したようだ。外務省はその事情に対して、杉原ビザの存在を知っていたために、「もう一度しっかりチェックしろ」と厳命を出した様だ。

しかし、ウラジオストック総領事代理だった根井三郎は、官僚の形式主義を逆手にとって、一度杉原領事が発行したビザを無効にする理由がないと抗議。最終的には、本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給して難民の救済にあたったとのこと。

軍人、樋口季一郎の功績

ところで、この時期に同じ様な行動をとった軍人がいる事をご存じだろうか。長らく埋もれていた歴史上の人物だが、昨今、銅像が造られる話が持ち上がった。

ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立

2021/4/12 12:41

第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県南あわじ市などに建立する計画が進んでいる。12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。

「産経新聞」より

樋口季一郎は陸軍中将で、ハルビン特務機関長であった昭和13年(1938年)に、満州国境に逃れてきたユダヤ難民を満州国に受け容れている。その数2万人とも言われているが、数字についてハッキリした資料が残っているわけではない。

杉原千畝も樋口季一郎も独断でこれを行ったということになっているが、実際には上述したように根井三郎のような協力者もいた。根井三郎は経歴を見ても特に軍部と関係があったわけではない様だが、外務省の意向には反対した。

だが、政治的に協賛してくれる人材がいなければ、こうした行動を採ることは難しいのが現実である。特に軍人で上層部の方針に反対するという事は考えいにくい。実際、樋口季一郎はその当時に軍部で問題行動とされ上層部から処分要求もあったようだが、当時、関東軍参謀長であった東条英機に直談判し、その結果「不問」であるとされた。

そして、東条英機は、ドイツからこの件に関して再三にわたって抗議されたが、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴したと言われている。すなわち政治や軍部全員の総意であった訳では無いが、理解を示す人々も少なくなかったということなのである。

樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連・満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開き、救出人数は2万人とされている。

この2年後の40年、リトアニアのカウナスで杉原千畝領事代理が命のビザを発効しユダヤ人を救った。

「産経新聞”ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立”」より

また樋口季一郎は、敗戦を受け容れた1945年8月15日以降にソ連軍が千島列島に押しよせたのに対して、見事な退却戦を指揮した功績でも評価されている。占守島の戦い(昭和20年:1945年8月18日~21日)と呼ばれる歴史は、教科書に載ってくることもないが、今、北海道が日本の領土であることは樋口季一郎の功績が大きいのである。

そして、北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団隷下第11戦車大隊は、占守島の戦いにおける陸軍第11連隊(通称:士魂部隊)の奮戦と活躍を顕彰して「士魂戦車大隊」を名乗っているという。11を漢数字で十一と縦に表記すると「士」の文字に似ており、この名に恥じない奮戦をした陸軍第11連隊に敬意を示してのことだと聞く。

人種的差別撤廃提案

杉原千畝と樋口季一郎、何れも旧日本軍の軍人であった経歴を持ち、樋口季一郎は軍人の立場でユダヤ人達の命を救った。偶然に、この時期に二人の日本人が唐突に人命救助の使命に目覚めたのか?というと、実はそうではないと思う。

特に日本の周辺国では、大日本帝国の軍人は極悪非道で血も涙もない存在だから、植民地で口にするのもおぞましい人権侵害をやらかした、という事になっている。

だが、そんな事実は無いのだ。

明治維新後(明治元年:1868年~1885年頃)、日本が海外に認められるために近代化を急いだ時期に、東洋の島国出身の日本人は随分と人種差別に苦しんだようである。当時の世界に「人権」の概念は希薄で、奴隷労働や植民地政策は国策として推進されている状況であった。

アジア人が世界に出ていったところで、軽んじられるのは無理もない話だ。実際に、国際連盟ではアングロサクソン人種が多数派で、アメリカやカナダでは日系移民排斥が吹き荒れていた。

明治維新の後、土地や税制改革で貧困になった農民達が、新天地を求めて海外へ、という動きは1885年以降、1920年代半ばまでにあって、実際に日本人がアメリカやメキシコ、ハワイ、カナダと世界各地に散っていった時代があった。

そうすると、現地で成功した人々もいて、これが日系移民排斥運動に繋がったようだ。既得権を脅かす存在は常に疎まれるのである。

日本政府はこうした排斥運動の根底に、人種差別問題があると見ていたようで、国際連盟に参加するにあたって「人種的偏見の除去」が条件であると、大正7年:1918年の外交調査会で意見が出るなどの状況になっていた。

そして、1919年のパリ講和会議(第一次世界大戦における連合国が中央止め異国の講和条件について討議した会議)の国際連盟委員会において、日本は「国際連盟規約の中に人種差別の撤廃を明記すべき」という提案をした。残念ながらこの提案は否決されてしまうのだが、アメリカなどが反対した事が明るみに出ると、新聞世論や政治団体は憤激。日本国民の対米感情の悪化に繋がっていく。

植民地政策を採っている国々と、それに反対する日本という構図となり、それが後の戦争の遠因となったと評価する方もいる様だ。

なお、アメリカ国内でもパリ講和会議でのこの差別撤廃案否決について反対運動が沸き起こって、数万人規模の暴動に繋がった事もあわせて述べておきたい。

八紘一宇

第1次世界大戦の後、日本の知識人中心に「八紘一宇(はっこういちう)」という考えが浸透していく。

言葉の出典自体は、日本書紀に求められることから日本国内では古くからこの考えがあったのだが、明治維新後の道徳的価値観の中で「八紘一宇」は見直されるに至る。

ただ、旧日本軍が宣伝として使ったのも八紘一宇という言葉であり、「天下を一つの家のようにすること」という目的の実現を世界各国でも共有しよう、という思想教育をしたようだ。また、この思想は古代支那における慣用句の影響を受けているので、日本の完全オリジナルというわけではないのだが、日本書紀にルーツを求めることができる程古い思想であり、かつ日本人が世界に出て行くには都合の良い概念だったのかもしれない。

兎にも角にも、軍事教育の一環として八紘一宇の概念は広められ、国会では人種的差別撤廃提案をパリ条約で提案することを決めて実際に提案し、軍人であった樋口季一郎は満州国にユダヤ人を入国させ、その2年後には杉原千畝も外交官としてユダヤ系難民の命を救った。

しかし、八紘一宇という耳慣れない言葉を持って来なくとも、日本人には「困っている人を助ける」という道徳教育がしっかり行われているので、特に違和感を感じない話でもある。そして、当然のことだとは思うが、当時の日本軍部だって人権を重んじる向きもあっただろうが、打算があってこうした行動を不問にしたのだと、そういう事なのだろう。

だが、今の外務省としては、こうした事実が余程都合が悪いのだろう。特定の国に配慮する、或いは既に存在しないGHQの指令が浸透しているという、そういう事が背景にあるのかも知れない。だから、日本の教育シーンでも報道機関でも、こうした話を積極的にしたいとは考えていないようだね。

そんな中で、近代日本における偉人として二人の功績見直しの気運が高まっていることは、喜ばしいことだ。

コメント

  1.  キスカ島撤退作戦について調べていたときに光人社文庫の「流氷の海」を読んで映画とかでは実働部隊の海軍に焦点があたってましたがアッツ島への増援が間に合わず玉砕させたことを非常に悔やんでいた陸軍の樋口季一郎中将の貢献が大きかったことを知りました。
     中将は軋轢のあった海軍との調整を図りキスカ島撤退作戦を実現させ他にもソ連参戦に対する防衛戦、ナチスドイツの迫害にあったユダヤ人の脱出を手助けしたことを知り感銘をうけた覚えがあります。
     これだけユダヤ人に対する功績があったのにTV番組で偉大な日本人とかでユダヤ人救出と言うと杉原千畝だけ取り上げられ樋口季一郎中将を無視する不自然さが自分のマスコミへの不信感を更に募らせることになりました。(自分がちょっと調べてわかることなので陸軍軍人が正義に基づき人道的行動をとったことは放送しないという差別がマスコミにはあるのでしょうね)
     東条英機も戦時の指導者としての力量に関しては能力不足であったと思っていますが人間としては日本軍の戦車に対し南方戦線では暑かろうから冷房は付けられないのかと兵を気遣っていたりして決して悪辣な独裁者ではなかったですね。

    • ケ号作戦は、Wikipediaで内容を知った程度だったので、ご紹介頂いた小説は読んでみたいと思いました。
      なかなかスゴい作戦だったようですね。
      樋口季一郎という人物は、幾つもの軍事作戦を成功させている傑物なのですな。

      ユダヤ人救出の話は、世界的に有名になったシンドラーが一番ショボイ話だったのですが、学校教育ではその辺りに踏み込むことはありません。
      日本にとって立派な功績を残した人物を紹介するのは、教育現場ではタブーなんでしょうかね。

  2. 日本側でユダヤ人受け入れを支持したのが東条英機だったりする。

    • 東条英機は、実績から見ると政治家としては優れた面があったようですね。
      軍人としてはイマイチの能力だったようですが。
      不当に貶められるのは、戦争に負けた責任を一身に背負わされたと言うことなんでしょうかね。

  3. こんにちは。

    >当時、関東軍参謀長であった東条英機に直談判し、その結果「不問」であるとされた。(中略)ドイツからこの件に関して再三にわたって抗議されたが、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴したと言われている。

    東条英機は、軍人あるいは宰相としての力量はどうだったかは議論の余地がありますが、人間としては、頑固ではあったようですが決して悪人ではなかった、彼なりに民衆を思っていたのだと理解してます(ゴミ箱を見聞する位ですから)。
    というか、歴史上に名を残す人のほとんどは、決して根っからの悪人というのは滅多に居ないものだと。何らかのボタンの掛け違いや、反対側の勢力に付いてしまったからそう記述されているだけではないかと。
    ※ポル・ポトですら、やったことはアレだけど思想は救民だったはず。流石にフォロー出来ないレベルですが……
    ※だが辻と牟田口、てめーらはダメだ。

    >当時、関東軍参謀長であった東条英機に直談判し、その結果「不問」であるとされた。(中略)ドイツからこの件に関して再三にわたって抗議されたが、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴したと言われている。

    このあたりの話は、世が世なら修身の時間に全生徒が教科書を朗読するレベルの話しだと思ってます。
    沖縄で「自分を悪人にして、その命令に従っただけだと言って、君たちは生き延びろ(意訳)」と言って村民を逃がした隊長さんが居たと聞いた覚えもありますし、そういう話がもっと広まって欲しいと願う次第です。

    • 牟田口は本当に批難されますねぇ。
      インパール作戦の失敗は有名ですから。

      沖縄の話だって、未だに創作された[鉄の暴風」などが有り難がられる状況ですが、日本の軍人は不当に貶められています。
      もちろん、負け戦だったので、責任をとらされた人がいることは仕方の無いことです。
      ですが、個人の名誉は回復されるべきでしょう。