韓国の痛ましい歴史の証言、「保導連盟事件」の爪痕

大韓民国

「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」いわゆる「千年恨」の演説をしたのは誰だったのか。「歴史の真実に背を向けてはならない」等と言った人物もいたね。

あ、何れも韓国の大統領でしたね。さておき、本日は「軽く」朝鮮半島で起こった

米国が「凶悪な操作」といった大田骨霊谷で出た遺骸

21.09.10 13:27 l最終更新21.09.10 14:52

英国<デイリーウォーカー>編集者であり、特派員として活動したウイニングターン記者は韓国戦争勃発後の1950年7月に韓国軍人と警察による大田骨霊谷民間人虐殺の現場を報告した。

注:遺骨の発掘現場の写真がありますのでリンク先に飛ぶときはご注意下さい

「オーマイニュース」より

少々刺激の強いニュースではあるが、朝鮮戦争での悲惨な歴史の一端として記録されるべきだし、戦争の悲惨さを知る上でも、再び朝鮮戦争が再燃したときに何が起きるのかを予測する上でも、知っておくべき話だろう。

あ、「軽く」の積もりだったけれど、結構時間がかかってしまったので、それなりに長い。ご了承を。

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この記事は「惣郷木霊の四方山話」でお送りしております。

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アメリカは知っていた

朝鮮戦争と「赤狩り」

いわゆる「赤狩り」はアメリカでも日本でも、ヨーロッパ各地でも行われている。政府が国内の共産党員及びその親派を公職追放するなどの手法で社会から追放したのだが、これはコミンテルンの暗躍を極度に恐れたマッカーサーによる指示によって行われたレットパージにも発展する。

日本における赤狩りは主にマッカーサーの指令によって行われたレッドパージの事を意味するのだが、公職追放や民間企業における解雇など、1万人以上が失職する事態を招いた。

戦後の日本が過度に左派を優遇する背景には、レッドパージの揺り戻しも影響しているといわれている。尤も、コミンテルンの残党が、テロ活動に従事していた事実も分かっているので、この行動が全て悪であったとは評価出来ない。

朝鮮半島においては、朝鮮戦争(1950年~1953年)の最中であって、大韓民国を名乗る組織のトップであった李承晩は強硬な軍事政権を作り上げていた。そして彼らの敵は共産主義だったのである。

朝鮮戦争が勃発した1950年6月25日、金日成率いる北朝鮮人民軍は一気に38度線を突破した後に同日中に漢江まで迫った。ソウルを防衛していた韓国軍は遅滞戦闘に務めたことで春川攻略を遅らせることに成功する。

しかし、韓国軍が頑張れたのはそこまで。

同年6月27日に国連の非難決議を勝ち取ったアメリカは、北朝鮮に対して軍事行動の停止と軍の撤退を求めた。アメリカとしては国際社会を動かして北朝鮮を撤退させようと試みたのである。

だが、翌28日には北朝鮮人民軍はソウルになだれ込む事態を迎え、そこから韓国軍はひたすら撤退戦闘を余儀なくされる。何しろ、アメリカの政策で装備も金も乏しい状況だったのだ。

保導連盟事件

そして、国連決議の裏で韓国ではトンデモ名事件が発生する。

それが保導連盟事件(1950年6月27日)である。

朝鮮戦争勃発によって一気に追い詰められた李承晩は、劣勢とみるや自国内の共産主義者への弾圧を開始した。もともと、韓国内には北朝鮮のスパイと思われる人材が大量の潜伏していたことと、アメリカの赤狩りの影響もあって、共産勢力を過剰に恐れる下地があった。

李承晩自身、大韓民国臨時政府の出身であるため、共産主義に対する親和性は高かった一方で、その内ゲバの恐ろしさも身に染みて知っていたのかな?実際に、1919年4月11日に臨時政府の大統領に推された後に、1925年3月には派閥抗争が勃発して失脚する。1921年5月の時点で、身の危険を感じて拠点であった上海を去っているのだから、その事をもって弾劾を受けたのはある意味仕方の無いことである。

話は少し逸れるが、大韓民国臨時政府が凡そ民主的組織であるとは言い難く、アメリカに留学経験のある李承晩は、左派の跋扈する政府内では浮き上がっていた。そして李承晩が去った後の臨時政府は1940年5月に以下の党議を発表した。

我が韓国は五千年の自主独立の国家である。日本の強占のもとに置かれ、敵の政治的蹂躙、経済の破滅、文化の抹殺にあい、死滅の道を歩んできた。内では民族の自立を実現できず、外では世界の共栄を図ることができなかった。本党は、ここに革命的手段をもって日本の侵略勢力を撲滅し、国土と主権を完全に回復する。政治・経済・教育の平等の下で、新たな民主国家を建設する。内では国民個人の平等な生活を確保し、外では民族と民族、国家と国家のあいだの平等を実現し、さらに、世界は一つであるという路線に向かって踏み出す。

「Wikipedia”大韓民国臨時政府”より」

真っ赤である。これでその当時臨時政府トップであった金九は、右派で共産主義の抵抗勢力とされているのだから、意味がよく分からない。

まあ、当時の臨時政府は支那国民党やソ連から資金援助を受けていたし、初期には強盗を行うなどの非合法テロ組織であったので、共産主義思想に染まっていくのはさほどおかしな話では無いだろう。李承晩去りし臨時政府のトップに立ったのはテロリストの金九であったことも、臨時政府という組織をテロ組織化させるのに一役買っていた。

そんな組織に李承晩がトップとして返り咲くのは1947年3月のことで、日本の敗戦によって朝鮮半島が棚ぼた的に独立を果たし、アメリカ軍の思惑によって作られた傀儡政権に李承晩は君臨したのである。

その時の器に使われたのが臨時政府であり、李承晩が大統領になり、金九が副大統領となった。この過程において、アメリカとソ連は密約によって38度線を隔てて分割統治することに合意しており、朝鮮半島統一を目指す全朝鮮諸政党社会団体代表者連席会議は、左派主導での統一が目指されたために何の成果も無く終了。分割統治を容認した李承晩によって、韓国軍政が始まるのが1948年5月10日のこと。李承晩は武力を以て左派を排除して韓国のトップに上り詰める。1948年8月15日に大韓民国政府の樹立を宣言し、1949年6月にはナンバー2だった金九は暗殺される。

あくまで南北統一を目指した金九は、李承晩にとっては邪魔な存在だったのである。

そして、左派一層を目的として、1948年12月1日には国家保安法が制定される。日本では治安維持法が世紀の悪法の様に扱われるが、反国家活動を行う活動家を取り締まることを目的として、非常に多くの民間人逮捕者を出したこちらの法律の方が問題が多い様に思う。まあ、コレも運用次第なんだけれども、当時の韓国は軍政下だったので、為政者の都合の良いように使われてしまったんだね。

この流れで1949年6月5日に作られたのが、要監視対象者の強化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」である。

「大韓民国絶対支持」「北傀儡政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」「南北労党暴露粉砕」を綱領に掲げるこの組織には、転向した党員が登録されたほか、抵抗を続ける党員の家族や単なる同調者に対しても登録すれば共産主義者として処罰しないとして加盟が勧められた。

これが「ウリ」と「ナム」の対立を基本とする韓国社会にフィットしたお陰か、悲劇を生み出すのである。なんと、李承晩の指示の元、この国民保導連盟員や南朝鮮労働党関係者は処刑されてしまう。これが1950年6月27日、つまり北朝鮮が韓国側に侵攻した2日後のことであった。

この辺りの下りは、前にも書いたかな。

連行され、惨殺される

犠牲者は114万人以上もいるとも言われており(公式に認められているのは4934人)、この歴史は闇に葬られてしまう。韓国ではタブー中のタブーなのだ。

ウイニングターン記者は「私は韓国で真実を見た>(I saw the truth in Korea)は、タイトルの記事で大田刑務所に収監された左翼政治犯と報道連盟員など7000人余りが大田骨霊谷で韓国軍警によって集団殺害された後、埋葬されたと報道した。特に記事は”虐殺は、米国の顧問の監視の下で行われた」と書いた。

「オーマイニュース”米国が「凶悪な操作」といった大田骨霊谷で出た遺骸”」より

このどうやら、国民保導連盟員や南朝鮮労働党関係者とされる者達は、収容所のようなところに収容され、太田近郊では太田刑務所に収容されていた模様。

朝鮮戦争での保導連盟員大量虐殺、軍指令で警察が実施

登録:2016-06-22 21:52 修正:2016-06-23 05:52

「意識分子というよりむしろ意識のない者が多かっただろう。共産党の何たるかを知っていようか。知らずに入った者が多いだろう…」

 朝鮮戦争で多くの犠牲者を出した国民保導連盟を組織・管理したとされる「反共検事」のソンウ・ジョンウォン氏(1918~2014)の肉声証言が公開された。ソンウ氏はソウル地検検事、法務部初代検察課長、治安局情報捜査課長などを務め、1949年に左翼転向者を集めて保導連盟を作って管理した主役だ。

~~略~~

彼は保導連盟員の虐殺は、警察が主導し軍人が後押ししたと明らかにし、「警察が(殺すことを)主導した。だが、警察が単独では絶対にできない。軍にやれと言われてやったのだろう」と証言した。

「ハンギョレ」より

韓国軍どころか警察も消防も動員されたと言うから、国家主導で行われた事は間違い無いし、虐殺されたのも左派かどうかもよく分からない。

そして、こうした施設は韓国全土にあったようで、大田骨霊谷だけで犠牲者は7000人いるとされている。あまりに凄惨な事件だったために、当時はメディアがその事を報じることを躊躇って、政府の指示の下で闇に葬られてしまった。

幅2m程度、長さは100mを超える溝の中に折り重なるように夥しい数の人骨が発見されたことで、当時の惨状が伺え、この惨劇はアメリカ軍も知っていたと言うから、ため息も出ない。

韓国では近年まで共産主義者によって行われた事にされていたが、2009年になって韓国政府はようやく国家機関によって民間人を虐殺したことを認めた。

北朝鮮に侵攻された状況で、一体何をやっていたのかという話である。

ちなみに惨劇の舞台の1つとなった大田は、ソウルから140km程度の場所にある。凡そ北朝鮮人民軍の侵攻とは無関係に思えるのだが、李承晩にとって国内で北朝鮮侵攻に呼応する組織を先に潰しておきたいという思惑があったのかも知れない。

実際に後に韓国政府はその様に弁明しているのだが、その後の事件も踏まえて考えてもその説明はオカシイだろう。

逃げる李承晩

李承晩はソウルを後にする

ソウルは6月28日に北朝鮮人民軍に侵攻されてしまうのだが、その事を事前に察知した李承晩は27日午後にはソウルを脱出している。

そして、李承晩は更にとんでもない事をやらかすのである。

漢江人道橋爆破事件(1950年6月28日)である。午前2時30分、民間人が我先にとソウルから逃げ出している状況を知りながら、漢江にかかる橋を爆破してしまう。民間人を巻き添えにして、である。

写真が残っている辺り凄いと思うのだが、アメリカ軍はコレに関しても多分「知っていた」んだろうね。でなければ、こんな航空写真が出てくるハズも無いわけだ。だって、爆破されたの夜中の2時だぜ?

写真が果たして本物かどうかは検証できていないのだが、多分本物だろうと言うことを前提にして話を進める。

漢江人道橋と日本語で書くと、「人道」=「人として守るべき道」みたいな印象を受けるが、この漢江の橋は単に人が渡る橋という意味で、この橋に並行してもう1本、鉄道橋が架けられていた。

非常に残念なことに、北朝鮮人民軍の侵攻を食い止めるために漢江大橋爆破を試みるのだが、2本ある内の人道橋の方だけ爆破に成功し、鉄道橋の方は失敗してしまう。

押すな押すなの大騒ぎで逃げ惑う国民をこの爆破工作によって800人以上殺してしまい、失敗した鉄道橋の方は北朝鮮人民軍の戦車部隊の通り道となってしまう。皮肉なことに。

そして、更に皮肉なことにこの橋の爆破によって橋の向こうに取り残された韓国軍の退路も断ってしまい、首都防衛司令部の部隊も橋の北側に取り残されてしまった。その結果、ソウル陥落は決定的になり、敗走是ざるを得なくなる。

悲運の韓国左派勢力達

さて、韓国軍の手によって虐殺された国民保導連盟員や左派活動家達だが、北朝鮮人民軍のソウル侵攻の速度が迅速であったために、生き延びることが出来た方もいたようだ。

しかしながら、北朝鮮軍にとっては彼らは「裏切り者」である。

どのような経緯があったかは知らないが、北朝鮮人民軍によっても虐殺は行われた様である。

更に悲惨なことに、北朝鮮軍が撤退した後にも、この話は終わらなかったようだ。

民間人虐殺は、ここで止まらなかった。北朝鮮軍が撤退すると、李承晩政府は再び北朝鮮軍に同調したり、調整された駅容疑者(北朝鮮軍の情報を提供し、案内、自主的幇助など)を見つけて太田刑務所などに監禁した。

大田と忠南メンバーで9月28日から11月13日まで忠清南道の警察で阻止された容疑者数は1万1992人に達した。二重最小数千人処刑されたり、劣悪な収容施設に餓死、凍結死に、病気になって死んだ。

「オーマイニュース”米国が「凶悪な操作」といった大田骨霊谷で出た遺骸”」より

何というか、負の連鎖は止まらないのだね。

敵と認定されれば、とことんまですり潰される運命となるのが韓国の社会ということらしい。

国民防衛軍事件

さて、こうした民間人虐殺は他にもあったようで。

朝鮮戦争中の1951年1月、韓国の国民防衛軍知れ分の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領する事件が発生した。

もはやため息しか出ないな。

コレだけを聞くと、韓国にありがちな「ポッケナイナイ」事件で済ましても良さそうなのだが、コレが戦争中に発生した事件となると、どのように軍隊に波及するのだろうか?兵站が横領されてしまうのであるから、その結果どうなるのかは容易に想像がつく。

「国民防衛軍」の犠牲者56年ぶりに「殉職」認定

記事入力2007.10.30 午前9:05

軍ウイムンサウィ調査結果朴さんの徴集や死亡に関連事実を知ることができる病的記録係部と徴兵検査部、要徴集者名簿、資料の表は、存在しなかった。国民防衛軍に召集され、訓練や移動中に死亡した人の記録が全く残っていないからだ。しかし、軍ウイムンサウィは、朴氏の居住地である蔚山と近くに国民防衛軍教育隊が位置しており、負傷者を治療していた病院が釜山、馬山などに位置したという点で、朴氏が徴集され、負傷し治療を受けた事実を認めた。

~~略~~

12月11日に設置法公布を編成した。当時の軍首脳部を含む幹部が予算を流用、穀物や布などを横領し、約9万人が寒さと空腹、病気などで死亡した。国会は、1951年4月30日、国民防衛軍の解体を決意した。軍法会議にかけた国民防衛軍司令官ギムユングンと副司令官ユンイクホンなど5人死刑が宣告され、その年の8月12日に銃殺された。

「NAVER」より

軍事物資の届かない韓国軍は、その時期、9万名余りの餓死者を出してしまう。季節も良くなかったのだろうね。韓国軍が北朝鮮人民軍に良いようにやられてしまった理由も、碌な武器が無いという理由以外にもこうした事情があったようで。

この事件のおぞましいところは、既に1950年12月の時点で半数をすり潰されて壊滅状況にあった韓国軍が、兵士を調達するために民間人を徴用し、名簿も無いような状態で碌な訓練も施さぬまま前線に立たせていたことにある。支那義勇軍の参戦(1950年10月19日)もあって、北朝鮮側の深くまで進めていた兵員を、後退させるよりなく、民間人で組織された国民防衛軍50万人余りを後方に集団移送するにあたり、軍事物資が届かなくなる。

まともな装備も無いまま極寒の中行軍させ、9万名余りの餓死者・凍死者と無数の病人を出した。日本軍の無計画さが露呈した「バータン死の行進」も真っ青の被害である。

居昌事件

もはやお腹いっぱいの状況だが、しかし未だ在るのだ。

1951年2月9日~2月11日、大韓民国慶尚南道周辺で韓国軍が共産主義パルチザンを殲滅するための堅壁清野作戦として、多数の民間人を虐殺する事件が発生する。

大法 「居昌事件国家賠償責任はない」

2008-06-05 13:44

韓国戦争当時に発生した途方も良民虐殺について国は遺族に対して賠償金を支払う義務がない最高裁判決が出た。

~~略~~

裁判所は判決文で「居昌事件は51年2月に発生した虐殺の責任者に対する判決も同年12月に宣告されたように判決宣告の日から3年、事件発生の日から5年を経過し、損害賠償消滅時効が過ぎた」と判示した。

「donqA」より:リンク先は魚拓

これについてはOINK判決が出てしまうのだが、内容はかなり凄惨な事件だ。

事件発生当時、戦線は38度線付近まで押し戻していて(実際には撤退の途中にあり、押し戻されている最中だったが)、事件が起こった慶尚南道は韓国軍の勢力範囲内であった。

地図の方が分かり易いか。

この地域の山中に共産ゲリラが潜伏していると言う情報が入って、韓国軍は山間部にある山村に進撃し、家屋を焼き払った。「堅壁清野作戦」とは、自分達の拠点以外は全て焼き払うという雑な作戦であり、「ゲリラ」と認定された人々は全てすり潰された。

同地域で発生した山清・咸陽虐殺事件(1951年2月7日)では12のむらむらの住民計705名が惨殺され、居昌虐殺事件(同年2月9日)では民間人719名が惨殺された。なお、そこに共産ゲリラが板かどうかは確認されていない。当時この事件は韓国の国会でも問題となったが、首謀者は逮捕された後に直ちに恩赦された後に、警察の要職に就いた。

……このくらいにしておきたい。

4・19学生革命

こういった李承晩の横暴が続けられることで、1960年3月の第4代大統領選挙が行われた後、この選挙が不正であったとして同年4月19日に前日までに行われた学生デモを切っ掛けに暴動に発展する。

一部のデモ隊は副大統領候補で李承晩大統領の側近である李起鵬の自宅を占拠。デモ隊に対して警察は無差別発砲を行って多数の死傷者を出し、それに激昂したデモ隊が警察官派出所や与党系であったソウル新聞社屋などを焼き討ちする。

これに大学教授なども乗じて、反政府デモが拡大。4月27日に李承晩が大統領辞任を発表するまで、韓国国内は荒れに荒れた。

そして、5月29日、李承晩は再び逃げを打つ。夫妻揃ってハワイに亡命するのである。側近達が自殺したり死刑になったりする中での逃亡劇である。

韓国の民主化は、この暴動の後、1963年の朴正煕登場まで待たねばならなかったが、朴正煕自身もクーデター(5.16軍事クーデター)によって大統領の座に就くことになったのは何とも皮肉は話だ。

2020年9月遺骨の発掘が始まる

さて、この話はどこに着地するのかというと、冒頭のニュースで紹介された骨霊谷の発掘が2020年の9月に開始されたというところである。

この記事を書こうと思ったのはこちら。

朝鮮戦争のとき、韓国軍による民間人虐殺の確実な証拠・・無数の遺骨が次々と見つかる。その数は4千人以上か - シンシアリーのブログ

僕がいつも拝読させて頂いているシンシアリーさんのブログで紹介されていた記事で、なる程、知っておくべき話なんだろうなと調べたことが切っ掛けである。

場所がほぼ特定されていて、当時の写真まで残っていたにもかかわらず、2020年まで放置されてきたという点は信じがたいが、それ以上に朝鮮半島の戦乱の歴史を鑑みるに、「ああ、これ、ベトナム戦争でも同じ事が起こったんだ」と妙に納得した。

これが「民族の問題」だとか、そういう話をしたいわけでは無く、また同じ事を繰り返すのでは?と、そんな風に思うのである。

そう言えば、韓国大統領選挙はムン君の後継者が有利な展開になってきたのだとか。

韓国大統領選 与党予備選 李在明氏が圧勝の勢い

2021/9/13 01:27(最終更新 9/13 20:53)

来年3月9日投開票の韓国大統領選まで半年を切る中、進歩系の最大与党「共に民主党」の公認候補選びで、李在明(イジェミョン)京畿道(キョンギド)知事が、他の候補を大きく引き離して独走している。12日に発表された党員や登録した一般市民による投票の1次集計では51%の票を獲得。対抗馬と目されている李洛淵(イナギョン)元首相を約20ポイント引き離している。

「毎日新聞」より

左派でも右派でも反日は一緒というのが韓国の風潮ではあるが、これ以上の赤化加速はいよいよアメリカとの同盟関係を危うくしかねない。

まあ、韓国大統領選挙は終わる直前まで何が起きるか分からないのだけれどね。

コメント

  1. 朝鮮戦争で、多数の朝鮮人が日本に亡命したようですが、その彼らも日本国内でブログ主様の文中のようなことを、やらかしてますからね。くわばらくわばら。

    • 歴史を忘れてはいけませんね。

    • 中朝韓にとって、歴史はプロパガンダです。

      これが、歴史の真実でしょう。