平城京跡に大規模な建物跡が

日本ニュース

最近は支那や韓国の話題ばかりだったので、偶には別の話題に触れていきたい。

本日のネタは平城京である。

奈良 平城宮跡に大規模な建物跡 聖武天皇の娘 孝謙天皇宮殿か

2021年6月30日 18時01分

奈良時代の都の中心だった奈良市の平城宮跡で、聖武天皇の娘、孝謙天皇の宮殿とみられる大規模な建物の跡が見つかりました。専門家は「天皇の宮殿の実態をうかがう貴重な史料だ」と話しています。

「NHKニュース」より

「何と立派な平城京」で710年に藤原京から遷都したことで知られる都だと、日本人なら誰でも国史の授業で習っていると思う。

え?「国史」ではなく「歴史」だ?そうですな、確かに日本の歴史という教科書タイトルではあったように記憶しているのだけれど、日本の歴史であれば「国史」だろう。他国の歴史も一緒に学ぶのであれば別だけど。

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巨大な宮殿

「奈良、唐にならって平城京」

さて、語呂合わせとして「何と立派な平城京」以外にも「奈良、唐にならって平城京」というものもあるようだ。

が、これは平城京の設計を唐の長安をモデルとして大和盆地にデカい都を設計したことから由来しているといわれている。諸説あるようだけれどね。

img

これは模型だけれども、整然と建物が作られていた様子が伺える。このよう、ドデカい都だったことは確かなようで、コレが禍して直ぐに別の都に線とすることになったとも言われている。道幅広すぎで不便だったとか。

門から続くメインストリートとなっている朱雀大路(すざくおおじ)は、道路幅70m、全長3.7kmだったというから驚きだ。現代の自動車道でもここまで幅広い道路は珍しいからだ。

しかし、よくもまあこんなデカい都を作ったモノである。

遷都、又遷都

ちなみにこの頃の歴史をチョットだけ振り返ってみると、以下のような感じになっている。

  • 飛鳥浄御原宮:第40代天武天皇と第41代持統天皇が営んだ宮で、この周辺に都が在ったと考えられる
  • 藤原京:持統天皇8年(694年)~ 和銅元年(708年):14年間 → 奈良県橿原市周辺
  • 平城京:和銅3年(710年)~ 長岡京:延暦3年(784年):74年間 → 奈良県奈良市周辺
  • 長岡京:延暦3年(784年)~ 延暦13年(794年):10年間 → 京都府日向市近郊
  • 平安京:延暦13年(794年)~ 治承4年(1180年)(形式的には明治2年:1869年)→ 京都府周辺

いやー、引っ越し費用も莫大だろうに、よくもまあこんな頻繁に遷都したものである。

なお、平城京に都を置いている最中にも恭仁京や難波京への遷都が計画されて、一時的に平城京が破棄されるようなこともあったとされている。当時の事情はよく分からないのだが、色々な政治的な理由もあったのだろう。

で、日本の歴史的には奈良時代(和銅3年~延暦13年)に分類され、日本仏教が栄えて太平文化が花開いた次代だと学校では教えられる。

この時代に古事記や日本書紀、万葉集が作られたことを考えれば、日本文化において非常に大きな意味合いを持つ時代であったと見て良いだろう。

孝謙天皇の宮殿

さて、そんな時代の遺跡が発掘されたよというニュースが冒頭のニュースである。

結構巨大な宮殿跡だが、ここは第45代聖武天皇の娘で第46代孝謙天皇の宮殿と見られるとのこと。

ここで「女性の天皇だったの?」と驚かれる方もいるかも知れないが、この時代までに女性天皇というのは5人存在し、孝謙天皇は6人目の女性天皇である。

ちなみに一番最初の女性天皇は、みんなご存じ第33代推古天皇なので、それほど驚く話でもないだろう。

ついでに言及しておくが、最近出てくる「女系天皇」という意味不明の用語と「女性天皇」は異なる概念である。今上陛下は126天皇徳仁だが、126代に至るまで1度たりとも「女系天皇なる存在」は確認されない。そこは事実として知っておく必要があるだろう。

で、遺跡の話に戻るのだが、この宮殿、かなり立派なものだったようだ。

建物は高床式の床張りの構造で、屋根にはひわだなどがふかれていたとみられ、発掘調査で見つかった瓦から、奈良時代の西暦749年から770年の間に建てられたものとみられるということです。

規模は平城宮跡内のほかの場所で、これまでに確認されている天皇の住まいに匹敵する大きさです。

「NHKニュース」より

どのような建造物であったかはこれからの研究によって明らかになっていくのだろうが、女性天皇であったからと言って何か他の時代の天皇と差が付けられたと言うことでは無いようだ。

昔から「深刻な男尊女卑の国日本」というデマゴーグ

ジェンダーギャップ?

で、古代の話から少し離れるわけだが、ちょっと前にあったこんなニュース。

日本は深刻な“男尊女卑“依存…ジェンダーギャップ120位の背景

4/9(金) 7:01

時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

「日本は男尊女卑依存症社会だ」 『男が痴漢になる理由』などの著作で知られる精神保健福祉士の斉藤章佳さんは、そう指摘します。男尊女卑、つまり男性中心で女性が低く見られ「男は仕事、女は育児と男のお世話」と役割が決められた社会では、女性も男性も生きづらい。そのしんどさから逃れるために、かえって男尊女卑に頼ってしまうというのです。

「yahooニュース」より

読んでも中身はさっぱり頭の中に入ってこない。

国際的「男尊女卑国」日本、世界とズレる大きな理由
※「ダイヤモンド・オンライン」にて、2021年5月10日に掲載された佐藤直樹氏(九州工業大学名誉教授・評論家)による記事転載になります。

こちらの記事も、事実誤認をベースに書かれていてかなり痛い。引用すらする気になれないが。

一般的には狩猟民族であった時代は女性優位の社会だったが、稲作が始まり、武士が出現する時代になって男性優位な社会になったと分析されている。

本当にそうなんだろうか?

最後の女性天皇、第117代後桜町天皇

さて、男性優位社会であったハズにもかかわらず、女性天皇は歴史上何人か登場する。

第46代孝謙天皇の後は、第48代称徳天皇、そこから時代は飛んで第109代明正天皇、そして多分最後となる第117代後桜町天皇が在位されている。

第109代明正天皇は、元和9年(1624年)~元禄9年(1696年)在位されており、江戸時代の女性天皇のうちの一人である。明正天皇の場合は、当時の将軍家光の威光もあったとは(家光の姪にあたる)思われるが、72年に渡る在位期間を全うされていることを考えると、立派に天皇の努めを果たされた人物であったと考えられる。

一方、第117代後桜町天皇は、元文5年(1740年)~文化10年(1813年)の在位期間73年で、江戸時代後期の天皇である。

江戸時代は男尊女卑社会だったとされているが、国の称長たる天皇は女性でもOKだったという事を考えると、本当にそうだったのか?と疑問には思う。

社会で役割分担は為されていて、女性が家を守っていたという実態はあっただろうと思われるが、それを「女性差別だ」とするのもチョットどうかと思う。

こうした社会構造に変化をもたらしたのは、寧ろ西洋文化が入ってきた明治維新以降のことではないだろうか?そして、それだって西欧的価値観なのである。

そういう意味では、今一度日本の歴史を見返してみて、どういう社会が幸せなのか?という事を考え直して見るのも良いかも知れない。西洋的価値観だけが正しいというわけでは無く、日本には古くからの歴史の積み重ねがあるのだから。

平安時代の建造物

さて、そんな事を考えつつ、話を冒頭のニュースに戻していきたい。

平安時代の歴史書「続日本紀」の記述などから、天皇や皇太子の宮殿があったとされている場所で、奈良文化財研究所が発掘調査したところ、東西27メートル、南北12メートルの範囲に50本の柱が整然と並んだ建物跡が見つかりました。

「NHKニュース」より

なかなか大きな建物だったことがこの記述からも伺えるが、当時の建築様式を勘案してこんな絵が紹介されている。

復元イメージとしてこんな絵が紹介されている。

造りは正倉院のような感じだね。

img

これは平城京にあったとされる朱雀門の大極殿を復元した建物で、現在の平城宮歴史公園に設置されているようだ。

img

もう1つ、奈良の唐招提寺の金堂の写真を紹介しておこう。これ、現存する奈良時代建立の建物であり、何度も修復されているようだが当時の原形を留めているとされている。研究では、当初の材料が複数良好に今も用いられている事が分かっている。

というわけで、もし残っていれば、こんな感じの建造物が当時建っていただろうと考えられる。ただ、この手の古い建物は神社仏閣は信者が建物を守ってくれることが条件なので、昔の姿を保っていてスゴイネとは思うが、天皇の御所が残っていたとは考え難い。

ただ、歴史に思いを馳せる良い切っ掛けになったかな、と、そんなことを思った次第。

コメント

  1. 僭越ながら、ジェンダーギャップについて私見を述べさせて頂きたく。
    「女性は産む機械」なんて言って大炎上した政治家が過去にいましたが、そりゃ禁句だと当方も思いますが、逆に、子を産む機能は女性にしか無いというのは動かしがたい事実であります。
    要するに、男と女は、生物学的に役割が違うので、そもそも平等という概念自体があり得ない、というのが当方の基本概念であります。
    だから男尊女卑、ではなく、
    ・女性は、子供を産めることをもっと誇りに思って頂きたい。
    ・男性は、言うなれば女性が安全に子を産んで安心して育てるための働き蟻である。
    ・互いに役割が違うのだから、男性は女性を、女性は男性を互いに尊敬し合えば良い。
    平等なんて、この世のどこにも存在しない、出来もしないお為ごかしではなく、自分が相手を尊敬し大切に思う、それなら誰にだって出来る、そう思っております。
    ※なので、当方はカミサンには働かなくて良い、その替わり子育てに全力を尽くして欲しいとお願いしてます。そうすることで、「子供が帰宅すると必ず母親が居る」という(当方が思う)理想の環境が維持出来ると考える為です(共働きで、子供が帰宅したときに誰もいない、というのは、絶対に悪影響しかないと考えるため)。
    乱筆乱文失礼しました。

    • 「男尊女卑」という考え方は、西洋思想出あるように思うのですよ。
      女性には女性が得意な、女性しかできない仕事があるのはご指摘通りでありまして、それをやらないという選択をする方を攻める積もりはありませんが、男性としては子供を産んで貰う仕事を引き受けて貰うしか無いわけで。
      これも教育次第なところはありますが、現在の考え方で教育を続けると少子化まっしぐらになるので、困ったものですね。
      子供を作り、育てることも国防の一環でありますから、政府は是非とももっと力を割いて欲しいと思いますよ。

      家の中で家事を続ける生活が精神的に辛い女性もいますから、どうあっても女性に家事育児を押し付けるというわけには参りませんが。